今日は何の日 9月

●メルマガのオマケでその日の記念日記事を書いているのですが、その部分だけをまとめてみました。
気楽な読み物として楽しんでいただければ幸いです。


9月1日 関東大震災記念日、防災の日
1923(大正12)年、マグニチュード7.9の大地震発生。(阪神淡路大震災はM7.3)家屋の全半壊、焼失60万戸以上、死傷者20万人以上。建物が木造やレンガで地震に弱かったことや、昼食準備の時間のため大火災が発生などで甚大な被害となった。ということで、防災の日なのかと思ったら、決まったのは1959(昭和34)年9月26日に上陸した伊勢湾台風の翌年。台風としては明治以来最大の被害で5千人以上の死者を出した事を教訓に。災害対策基本法も、伊勢湾台風がきっかけ。近年は建物の耐震化や治水の整備など進み、自然災害なにするものぞ的な風潮もありますが、やはり用心に越したことはありませんね。

9月2日 宝くじの日(く(9)じ(2)」の語呂合せ)
当選しても引き換えられない宝くじの、時効防止PRのため、 第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)が1967年に制定。 この日は、はずれくじの敗者復活がある。 宝くじはの発祥は、江戸時代初期、大阪の瀧安寺「富くじ」で、 正月に僧侶が3人の当せん者を選び幸運のお守りを授けたことから。 やがてこれに金銭の分配がつくようになり、幕府は禁止したが その後、寺社にのみ、修復費用調達手段としての「富くじ」が許可される。 (落語「宿屋の富」「水屋の富」など) 一時姿を消したが、戦後地方自治体の復興資金調達のため、 各都道府県が独自で宝くじを発売できるようになり、 その流れを受けて、全国自治、東京都、関東・中部・東北、近畿、西日本 いう5つのブロックが出来上がり、現在に至っている。 宝くじ一枚の内訳は、42.8%がとして当選者に支払われる当選金、 39.8%が発売元の地方自治体に納付される収益金、14.4%が販売手数料や広告費。 年間販売額は、1兆円を突破している。 認可の宝くじはこれのみで、海外の宝くじは日本では違法なので注意。 さて運よく1000万円以上当たったら、当選金と一緒に 「その日から読む本 突然の幸福に戸惑わないために」という冊子が貰えます。 弁護士や臨床心理士、ファイナンシャルプランナー等専門家が制作に携わり 「当せん金はとりあえず安全な場所へ」「冷静になって使い道を考える」 「軽はずみな言動に注意」「自分を見失わない」等の行動指針が書かれています。 高額当選すると、まず仕事を辞める、豪邸や高級車を買う、豪遊する、 親戚、友人(じゃない人も)からたかられる、家庭内が不和になる、 等で身を持ち崩し、滅ぼした人が国内外にたくさんいるんですね。 幸運も、身の丈くらいでいいのかもしれませんね。

9月3日 ドラえもんの誕生日
ちょうど100年後の2112年本日、松芝ロボット工場でドラえもんが誕生した。身長129.3cm、体重129.3kg、バーゲン品として売られて野比セワシの家へ。 昼寝をしていた時にネズミに耳をかじられてしまい、 ショックで体の色が青くなってしまった。 これ以来ネズミを極端に恐がるようになった。 セワシの先祖であるのび太は何をやっても失敗ばかりで、多額の借金を作り、 その曾孫の代になっても返済に苦労させられているので、 のび太を助けるためドラえもんをタイムマシンで過去へ送り込んだという設定。 1970年、作者、藤子・F・不二雄は、新連載の構想が浮かばない中、 アイディアがすぐに思い浮かぶような便利な機械があったらいいのに、 という空想をめぐらせながらドラネコのノミ取りを始めてしまう。 ついに締め切りが来てしまい、「わしゃ、破滅じゃー!」と叫びながら 階段を駆け下りたところ起き上がりこぼしにつまずき、 その瞬間、「ドラネコと起き上がりこぼし」というアイデアが結びついて ドラえもんが誕生したという。 また、「ダメな人間を便利な機械で助ける」という内容も、 自分に重ね合わせてこのときに思いついたのだという。 世間的には刺激的・暴力的なシーンが少なく健全、と言われる一方で、 のび太は何もせず、楽をして夢を叶えているのは問題という批判的な意見も。 人生に自分からぶつかっていかないで、ただいいこと、楽なことを 何もしないで期待しているような世代が、これからしだいに 社会を領してくるのではないかという意見が30年前にすでに出ていて、 今確かにそんな気もしますが、それはドラえもんのせいなんでしょうか。 作者の藤子・F・不二雄は、のび太は読者が目標とすべき理想像ではないし 珍道具が日常生活に及ぼす影響を描く漫画であり、 道具の入手方法には重きを置いていないということですが、 問題を簡単に解決してくれる便利な道具は確かに魅力的ですね。 でもお話ではたいてい道具に振り回されてろくな結果になっていませんけどね。

9月6日 妹の日
漫画家の畑田国男が1991年に制定。 妹の可憐さを象徴する乙女座(8月23日〜9月23日)の中間の日の前日という設定。彼は「兄弟型姉妹型」研究の第一人者だそうで、 「サザエさん」(姉型)時代から「ちびまる子ちゃん」(妹型)時代へということで、現代に活躍する女性の多くが妹であることを発見し 毎年「日本妹大賞」を発表・表彰している。これまでの受賞者は有森裕子、岩崎恭子、きんさんぎんさんの妹である蟹江ぎんなど。しかし姉でもあり妹でもある人はどうなの?一人っ子は? 第一人者というけど、そもそもそんな研究してる人が他にいるわけ? 1999年の大賞はアニメ「となりの山田くん」の「ののちゃん」ということで、そんなにマジメなものじゃない、と軽く受け流しておくのがいいかも。 制定者はもう亡くなっているし、ののちゃん以降表彰のニュースはナシ。そのうち、消えて無くなる記念日でしょうね。 ちなみに、私は妹です。

9月7日 キース・ムーンが亡くなった日
キース・ムーンはイギリスのロックバンド、ザ・フーのドラマーでした。ロックという音楽は、アメリカで生まれて、イギリスで発展した、と私は思っています。プレスリーで産声をあげビートルズで爆発した、とでも言いましょうか。ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、ピンク・フロイドなど、イギリスはあまたのロックバンドを輩出しましたが、ザ・フーもその一つ。当時のイギリスの若者、特に労働者階級の不満を代弁したものとしてギターやドラムをステージで叩き壊すといった過激なパフォーマンスで絶大な人気を博しました。 もちろん過激さだけではありません。クラシックの楽曲技法をロックに取り入れた「ロックオペラ」の初めての作品は、ザ・フーの「トミー」でした。今でもロックオペラの名作として、高い評価を受けています。(リーダーのギタリスト、ピート・タウンゼントの手による) が、ドラマーのキース・ムーンはもっぱら壊し屋の役割だったようで、ステージで火薬を爆発させ、ピート・タウンゼントが難聴になったとか、自分の家のみならずホテルの窓や友人の家の高窓から家具を投げ捨てたり、配管に爆竹を仕掛け、廃墟にしてしまったとか、彼が参加しているパーティは必ずむちゃくちゃに破壊され、本人は必ず全裸になったとか、とんでもない逸話が数多く残されています。バンドとしては順風満帆だったものの、ムーンは多量のアルコールとドラッグに蝕まれ、アルコール依存症の治療の為の薬を過剰摂取してしまい急死しました。 1978年、享年32歳。 最近もいましたね、こういう方が。人気アーティストがドラッグなどに走るのは昔も今も変わりがないのかもしれないが、そうでなく、ちゃんとしたアーテストもいっぱいいるのだから(むしろほとんどの人はちゃんとしてると思いますよ)芸能人やミュージシャンだからドラッグやるのは仕方ないとか、それがカッコイイみたいに思うのは絶対いけませんね。マスコミもその辺は気をつけて報道してほしいものです。

9月8日 ニューヨークの日
1664年ニューヨークが誕生した。 約400年前オランダが、先住民からマンハッタン島を購入。(酒や日用品等、約4,000円分と交換したらしい)その後、マンハッタン島の南端に港、交易所を設け、ニューアムステルダムと命名。先住民などの攻撃から街を守るため築いた防壁(ウォール)がその後ウォール街となった。 1664年の今日、英蘭戦争の勝利によりイギリスの支配下に。英国王チャールズ二世が弟のヨーク公にこの地を贈ったことから地名がニューヨークと改められた。その後1776年から1790年まではアメリカ合衆国の首都だった。 ところで今日の「ニューヨークの日」はマンハッタン島のことですが、そこはニューヨーク州ニューヨーク市のマンハッタン区のこと。市には全部で5つの区があり、州都は内陸のオールバニーという都市だって。知らなかった。 ニューヨークと言えばジャズの本場。 12日ジャズライブの元岡一英さんはニューヨークでも演奏活動をしていた本格派です。本場のサウンドを聴きにいらっしゃいませんか?

9月9日 重陽の節句
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の重なる日を節句として祝っていた。 (1/1正月、3/3桃の節句、5/5端午の節句、7/7七夕) 9月9日は陽数の極である9が重なることから「重陽」と呼ばれ、 邪気を払い長寿を願って、菊の花をかざったり酒を酌み交わして 2〜3日間にわたって祝われる。 宮中行事としては天皇以下皇族が紫宸殿に集まり、 詩を詠んだり菊花酒を飲んだりしてけがれを祓い長寿を願う。 菊はちょうどこの時期(旧暦、今の10月初旬)の花で、 不老長寿の薬としての信仰があり、鑑賞用としてより先に薬用として栽培され 今でも「菊花」として漢方で使われている。 (肺・腎の弱い人に働いて、目に元気をつける、まぶたの腫れを防ぐ、等) さかんに行われていた重陽の節句が、現代に引き継がれていないのは、 旧暦から新暦にこよみが移り、菊が盛んに咲く時期ではなくなったからかも。 九州北部の秋祭り「くんち(おくんち)」は、くにち(9日)から。 最大は長崎くんちで、10月7、8、9日の3日間行われます。 とりあえず、今夜は菊見て一杯、いかがでしょうか。

9月10日 カラーテレビの本放送が開始 
昭和35年(1960年) ちょうと今放映中の「梅ちゃん先生」の時代か、もう少し後、 テレビ放送そのものの開始からまだたった7年、 モノクロ受像器さえ高価で一般に普及しておらず、 また全ての番組をカラー放送できる体勢にはなかったので、 カラー放送も白黒テレビで受信可、白黒放送もカラーテレビで受信可、 という「相互互換性」を死守すべく開発が進められた。 当時は「総天然色テレビジョン」と呼ばれ、 カラー放送には画面の隅に「カラー」という文字が、 新聞のテレビ欄にもそういう表示が付いていた。 また初期のカラーテレビには、カラーと白黒の切替ボタンが付いていた。 (カラーを見たくない人のためらしい) 1964年の東京五輪は、日本の放送関係者が総力をあげてテレビ放送を実現化。 撮像管から衛星中継まで一連の機器を国産で開発し、世界で初めて生中継した。 圧縮技術による伝送は大会3日前に技術テストに成功したという。 大会では、開・閉会式他8競技がカラー放送され五輪は国民的イベントに。 特に日本女子バレーボールの、ソ連との決勝戦は、 最大視聴率が95%に達するというメディア史に残る記録を残した。 ほとんどの家庭のテレビがカラーになったのは1975年前後らしい。 今から50年以上も前、「相互互換性を死守」ですよ。 技術の発達した現代でなぜ地デジとアナログの互換性ができなかったのか。 いや、きっと案外簡単にできたんだけど、 テレビを買い替えさせるために産業界が仕組んだ、とか。 それはともかく、その後の液晶テレビメーカーの凋落ぶりは 皮肉としか言いようがありませんね。

9月13日 乃木大将殉死の日
1912(大正元)年のこの日、乃木希典大将が明治天皇に殉死し、 自宅跡地に乃木神社が建てられた。 乃木大将と言っても、若い方はほとんどご存じないと思いますが、 明治時代の軍人で、天皇陛下が亡くなったら後を追って切腹したということで、 戦前は、忠孝の士として大いにもてはやされ、 夏目漱石の「こころ」にも取り上げられています。 反対に戦後は軍国主義の象徴みたいな扱いを受けてしまいましたが、 本当のところはどうなんでしょう? 江戸時代末期、長州江戸屋敷で藩士として生を受け、 維新後、陸軍の軍人となりましたが、 西南戦争で軍旗を薩摩軍に奪われる、 大将として指揮した日露戦争がうまくいかず、多くの戦死者を出す、 息子二人も戦死し、他の子も亡くなって後継ぎがいなくなる などなどにより自殺(切腹)願望がもともと強かったようです。 明治天皇の信頼厚く、「私が死ぬまでは切腹はならん」と言われていたため、 崩御に合わせ殉死したというのが実際ではないかと思われます。 軍人としては無能だった、などの評価もありますが(坂の上の雲) それはともかく、人物は非常に清廉、高潔であったらしく、 部下や遺族を見舞ったり、自腹で義手を制作、配布したりして 庶民から非常に尊敬されていました。 殉死のニュースは瞬く間に広がり、忠誠心に感激した国民はこぞって乃木邸を訪れ、 その数は日を追って増加、ついに時の東京市長が御霊をお祀りするため神社の設立に動き、 大正8年、乃木神社創立となりました。 神社は現在も乃木坂のそばに鎮座しております。 しかし、軍人なのに戦の神ではなく忠孝の士として神社が建てられたんですよ。 それも一般の人々の望んだ形として。 菅原道真とか安倍晴明とか、人間が神様として祭られる(仏様ではなく) というのは日本には古来からありましたが、たぶんこれが最後でしょうね。

9月14日 ナポレオンがモスクワを制圧した日
1812年6月、ヨーロッパ制圧をもくろむナポレオン1世は、同盟軍も含め77万人の兵力でロシアに侵攻、 3ヶ月後のこの日、モスクワに入城した。 しかし、モスクワ市街はもぬけの殻、兵力を温存したロシアは降伏せず、市街に火災を発生させるなど、フランス軍を混乱させた。結局は食糧不足などもあり、一ヶ月後には退却。その時残った兵力はわずか10万人、後方支援もなく、騎馬隊の飼葉が欠乏、馬はみな餓死し、あるいは兵士の食料となり、運搬できない大砲や車両は廃棄された。 11月始めには飢えと凍傷、行軍による疲労で死者や脱走が相次ぎ、最終的に生きてフランスへ戻れた者はわずか5千人。この敗北はナポレオンの没落のきっかけとなった。 「冬将軍」の語源が実はこの戦い。ナポレオンが敗れたのはロシア軍ではなくロシアの厳冬だった、ということで、イギリスの記者が命名したそうです。

9月15日 敬老の日、老人の日
1947年、兵庫県の門脇政夫さんという村長さんが年寄を敬おうと提唱し、農閑期の時候のいい9月15日に敬老会を開いたのが始まり。その後全国に広がり、1966年に国民の祝日「敬老の日」となった。ところがハッピーマンデーにより9月第3月曜に改定されると高齢者団体が猛反発、やむなく9月15日を「老人の日」とし、その後1週間を「老人週間」としたそうです。というわけで、「敬老の日」と「老人の日」は別物なんですね。たまたま今年は同じ日ですが、来年は、「老人の日」9月15日、「敬老の日」9月21日なのです。 「前後を祝日に挟まれる平日は国民の休日」という法律により、(4月4日が休日の理由はこれ)敬老の日が21日や22日になった場合、秋分の日との関連で、最大5連休の「シルバーウィーク」(春のゴールデンウィークに対し)が出現。実はこれ、来年なんですよ。今から旅行の計画でもいかがでしょう。

9月17日 モノレールの日
同年10月10日に開催された東京オリンピックに合わせて開業、 新幹線の開業は2週間後の10月1日で、共に戦後の復興の象徴となった。 モノレールとは、1本の軌条により進路を誘導されて走る軌道系交通機関だが、 「一般の二条式鉄道とは異なるものの総称」として機能していて、 1本のレールではないものもモノレールと称している。 モノレールの長所は占有する敷地面積が狭くてすみ、高架化が容易なこと。 これはすでに市街地化された後に作りたい場合、大きなメリットとなり、 沖縄初の軌道系交通機関もモノレールである。(ゆいレール) 欠点は、分岐ができない、多数の方式があり相互互換性がない、など。 (モノレールの方式は吊るす型とまたぐ型があり、細かくは20種位ある) 日本で一番最初に作られたモノレールは上野動物園のもの。 戦後の都内の交通渋滞緩和を目的に、路面電車やバスに代わる交通手段として 東京都交通局が研究を開始し、上野動物園内に実験的に設置され、 上野懸垂線という名前がついています。 1957年12月17日開業後、幾度かの施設更新を経て現在も現役です。 戦後東京の都市交通計画の一端を今に伝える貴重な産業遺産といえますね。

9月16日ハイビジョンの日。
画面の縦横の比率が9:16であることから通商産業省(現在の経済産業省)が制定。 ハイビジョンとはNHKが開発した高精細度テレビジョン放送 (HDTV)のことで 高密度により臨場感のある鮮明な映像と、横長(9:16)の画面で 映画のような迫力をテレビで実現させた。 ただし、カメラや編集機材がまだ対応していなかったり規格が違ったりして、 編集でダビングするたび劣化するという事態になっているらしく、 実は本当の高品質のハイビジョンはまだだれも目にしていないらしいです。 しかしそもそも、映像の美しさは画素数だけではないわけで。 音楽も、アナログレコードからCD、MP3と急速にデジタル軽量化されて 莫大な量の曲がいとも簡単に持ち運びでき、いつでも聴けるようになりましたが、 音自体の豊かさは失われて人生における音楽の重みも軽量化しているような。 一旦便利なものを手にするとなかなか後戻りはできませんが、 せめてそういうアナログのものを忘れないようにしたいなあと思います。

9月20日 空の日

1940(昭和15)年に「航空の日」として制定。 1940年は我が国で最初の動力飛行が成功してからちょうど30周年に当たり、 航空日本の発展のための国家的行事を実施すべきとの強い意向があった。 しかし成功日の12月19日は、気候的に航空行事に適さないということで、 翌年の、山田式飛行船が東京上空一周飛行に成功した日付となった。 なんだか折衷案みたいな記念日の決め方ですね。 民間航空再開40周年にあたる平成4年(1992年)から「空の日」になりました。 初飛行の成功者、陸軍大尉徳川好敏は、清水徳川家(御三卿)の当主。 明治維新により華族となったが、父親は家政を巡る騒動により 「華族の礼遇に耐えられず」として、明治32年に爵位を返上したそうな。 上流社会もなかなか大変なものですね。 しかしパイロットとしての好敏の功労により新たに男爵を授けられました。 きょうから10日間は空の旬間とされ、 各地の飛行場でさまざまなイベントが行われます。 航空行政や航空業界は今なんだかんだと言われておりますが、 今日のところはひとつ、イベントで一緒に盛り上がってみてはいかが。 ただし羽田は11、12日で、もう終わってしましました。 残念。

9月21日 五代目古今亭志ん生が亡くなった日
ご存知、馬生、志ん朝のお父さんです。生家は徳川直参旗本で槍指南番をしていたが、明治維新の際の支給金を父が道楽で使い果たし、家は貧乏だった。その父の寄席通いにお供するうち、自身も落語家へ。長い間陽の目を見ず、満州に渡ったりもしたが、帰国後(昭和22年)一気に人気が出、寄席、ラジオなどでひっぱりだこになった。 「天衣無縫」ともいわれるが、その巧拙を超えた面白さは実際は、売れない時代が長く、芸について非常に考えた上で、苦心して作りあげたものであるらしい。「高座に座る姿そのものが一枚の絵であり、落語である」とまで言われた。 破天荒で生き方が落語そのもの、という志ん生にはエピソードに事欠きません。酔っ払って高座に上がり居眠りを始め、前座が起こそうとしたら、客が「寝かせておけ」と言った、というのは有名な話。また、満州にいた時敗戦になって、帰国の目処が立たず悲観して、「強い酒なので一気に飲んだら死ぬ」と注意されたウォッカ一箱を飲み干し、数日間意識不明、その後回復した時、「死なないのなら少しずつ飲めばよかった」と言ったそうな。全く落語そのもの、あやかりたいような、あやかりたくないような。 その志ん生さんの直系、古今亭八朝師匠プロデュースによる、「らくごinn庚申塚」は毎月第一金曜の夜に開催しています。志ん生のネタを演じる「志ん生座」も開催中。みなさん、面白いですよ。また毎月4日の午後1時からは、若手とベテラン5人出演の「四の日昼席」をやっています。曜日に関係なくやっていますが、次回(10月4日)は日曜です!!ぜひ一度足をお運びください。とげぬき地蔵の縁日も楽しいですよ。

9月22日 国際ビーチクリーンアップデー
アメリカ・サンフランシスコに本部のある海洋自然保護センターが1985(昭和60)年から実施。世界各地で一斉に海岸のごみを拾い集め、数量・種類等を調べることによって、海洋のゴミの発生元や、地球環境への影響を調査している。この、世界一斉に、というのがミソ。海は国境の隔たりなく世界中を巡っているので、思わぬところからのゴミが流れ着いたりしています。大量生産・大量消費・大量廃棄のみならず、ゴミの質の変化(腐りにくい)により、美観を損ね、生態系を脅かす度合いが激増している近年。水辺以外の場所でも、皆が気軽に取り組み、ゴミに対する意識が変わっていく (拾ってきれいにする→ゴミを作らない) ことの必要性を痛感します。と、そんなことを言う前ににまず私は机の周りのクリーンアップをしなければ。。

9月23日 海王星が発見された日(1846年)
1781年に発見された天王星の軌道が時々ずれるのは 外側にさらに惑星があるためだと考えられていた。 科学者たちは天王星の軌道の乱れから、その惑星の大きさや軌道・位置を計算、 フランスのル・ベリエが場所を突き止め、ベルリン天文台のガレが発見した イギリスのアダムスも予測していたので、彼も発見者とされている。 命名は他の惑星同様神話上の大物ということでネプチューン(海王)、 惑星の外見とは関係ない命名だったが、実際は深淵の海のように真っ青に見える。 大気に含まれるメタンの影響だが、未知の化合物とも考えられ、 表面では時速は約2千キロというものすごく強くて速い風が吹き続けていている。 遠いため太陽からの熱はほとんど受けていないが、中心部は約5千度、 内部で起きている放射性元素の崩壊が熱源と考えられている。 一番大きい衛星トリトンは、冥王星と色も形もそっくりなので、 もともと惑星だったのが海王星の重力にとらえられたのかもしれない。 猛暑だった夏、いつになったら涼しくなるのかと思っていましたが、 もうすっかり秋ですね。 空気も澄んできたので、夜空を見上げて海王星に思いを馳せてみませんか。 双眼鏡でも、青味がかった本当にかすかな光が見えることがあるらしいです。

9月24日 みどりの窓口記念日
国鉄(現在のJR)の駅など全国約150ヶ所に、コンピュータによる指定券発売窓口、 みどりの窓口が設置され座席指定券は端末操作で1分程度で発行可能になった。 1965(昭和40)年 それまでは列車ごとの台帳で管理され、窓口から電話で問い合わせていたため、 指定券発行に2時間待ちとか、重複販売などが起きたいた。 「みどりの窓口」という名称の由来は、この窓口で発券される切符の地紋が 常備券の赤や青に対して、淡い緑色をしていたこと。(現在は水色) 志の輔ファンにとっては師匠の落語をすぐに思い出しますね。 いくらコンピューターだのオンラインだのと言っても、 一番ややこしいのは人間そのものということでしょう。 ところで、東北人にとっては骨格的にとても言いにくいそうで 「まどりのみどぐち」になってしまうそうな。 青森出身の伊那かっぺいさんの話なのでたぶんホントです。

9月26日台風襲来の日
統計上、台風襲来の回数が多い特異日で、1954(昭和29)年洞爺丸台風襲来、洞爺丸、第十一青函丸、北見丸、日高丸、十勝丸の計 5 隻の青函連絡船が函館沖にて転覆、死者1430名(ほとんどが洞爺丸の乗客乗員)、1958(昭和33)年狩野川台風、伊豆・関東地方に来襲、死者不明者1,269名、負傷1,138名、住家全半壊1万6千棟、床上床下浸水52万棟、1959(昭和34)年伊勢湾台風、東海地方を中心にほぼ全国的に被害、死者不明者5,098名、負傷38,921名、住家全半壊34万棟、床上床下浸水36万棟 。伊勢湾台風を最後に、多数の人命が奪われるような台風災害は発生していない。これは狩野川台風の頃から、防災意識の向上による都市水害問題への取り組み、治山治水事業の促進、情報伝達網の整備による思われます。とはいえ先日の15号は強烈でした。どんなに科学や技術が発達し、万全の備えをしても、自然の脅威をあなどってはいけないのでしょう。 なお、特異日とはその前後の日と比べて偶然とは思われないほど大きな確率で、ある気象状態が現れる日のことで、原因は不明とのことです。

9月27日 女性ドライバーの日
1917(大正6)年のこの日、栃木県の渡辺はまさんが、 日本の女性としては初めて自動車の運転免許を取得した。当時23歳だったはまさんは1月に栃木から上京し自動車学校へ入学、 4月に卒業後、半年間自動車商会で運転手見習いをしながら取得した。それほど難しかったのか、壁が高かったのか。 しかし女子大生が誕生した日とか女性大臣の日とか、女性が初めてその世界に踏み込んだという記念日はよくありますが、 男性はあまりないようですね。男社会の名残でしょうか。 男性が初めて看護の世界にはいり、看護婦から看護師へ呼び名がかわった、という記念日とかあってもよさそうなものですが、いかがでしょうか。 (ちなみにそれは2002年3月だそうです。)

9月28日 パソコン記念日
1979(昭和54)年、日本電気(NEC)がPC-8000シリーズを発売、定価は168,000円。当時の大卒の初任給が11万ちょっとなので、今なら30万くらいに相当するでしょうか。 当時は個人向けの小型コンピューターは「マイクロコンピュータ」の略称である「マイコン」と呼ばれていたが、 NECは「パーソナルコンピュータ」略称「パソコン」と呼んで差別化、これまでのマニア向けではなく、一般向けとして一気に市場が広がった。 わが家では82年にNECの98が出た頃、それより安い8ビット機のFM7を購入。でもソフトも全然なくて、インターネットももちろんなく、単なる大人のおもちゃ状態。その後マッキントッシュへ。 iマックまではマッキントッシュ一筋でしたが、仕事で広く活用し始めてからはソフトが手に入りやすいウィンドウズへ乗り換えてしまいました。 それまでいったいパソコンにいくらつぎ込んだか、考えてみるとそら恐ろしいですが、そのおかげで今があると思えば無駄な浪費ではなかった、と信じたいものです。

9月29日 日中国交正常化の日

1972(昭和47)年、日本と中華人民共和国との間の国交正常化共同声明の調印式が北京で行われ、田中角栄、周恩来両首相が署名した。 36年も前の話。というより、もう36年もたつのかというのが正直な気持ち。干支で3回りですよ。私の「世界についての常識」は、高校で習った世界史なので、ちょうど大学に入った年に、国交のなかった共産党の国と交流できるようになるなんて思いもしませんでした。その後、ソ連は崩壊し、東西ドイツが統一され、中東問題は泥沼化し、テロは多発し、金融市場は大混乱し。いったい世界はあの頃より良い方向に向かっているのだろうかと手塚治虫の「火の鳥」を読み返しながら考える今日この頃です。 ちなみにこの年(1972年)、実にいろんな事件がありました。 1月 東パキスタンが独立、バングラデシュに。   グアム島で横井庄一さん発見。 2月 札幌オリンピック開催。 連合赤軍、あさま山荘事件。 3月 山陽新幹線岡山開通。 高松塚古墳で壁画発見。 4月 外務省秘密漏洩事件。 川端康成ガス自殺。 5月 大阪千日デパート火災。 沖縄返還。 テルアビブ銃乱射事件。 6月 田中角栄通産相が「日本列島改造論」発表。  ウォーターゲート事件発覚。   佐藤栄作首相退陣(任期歴代最長7年8ヶ月、後任は田中角栄) 8月 ベトナム戦争で米軍初めて撤退(開戦から8年目)  ミュンヘンオリンピックテロ事件。 10月「シャボン玉ホリデー」終了。 柳家金語楼死去(享年71)。 上野動物園にパンダのランラン、カンカンが来園。 11月 米大統領選挙でニクソン再選(WG事件による引責辞任は2年後) 12月 米軍、北ベトナム空爆再開(終結は3年後)

9月30日 世界翻訳の日
聖書をラテン語訳した聖職者ヒエロニムスが亡くなった日。(西暦420年) 国際翻訳家連盟が制定。 ヒエロニムスは現クロアチアのアドリア海沿岸部の生れ。(340年頃) もともとキリスト教には興味なく、勉学のためローマに留学、 古典の勉学に励んだが、30すぎて大病し神学の研究を決意、 当時ヘブライ語で書かれていた新旧聖書をラテン語に翻訳した。 2010年現在、聖書は2,527言語に翻訳されている。 翻訳という作業は、語彙体系も社会環境も異なる場合、 もとの語句と翻訳先言語が正確に対応しているとは限らず、 語句が存在しない、あるいはどれを当てても意味がズレる場合があります。 16世紀のイエズス会による日本布教では、仏教用語で説明したため キリスト教が仏教の一派であると一部に誤解されたそうな。 一日中一人で机に向かう仕事なので、言語が達者というだけでは中々難しく、 この仕事が好き、という強い気持ちがないと続かないそうです。 やはりヒエロニムスからの伝統でしょうか。 言語も達者でなく強い気持ちもない私には、とうてい無理ですね。


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