今日は何の日 5月

●メルマガのオマケでその日の記念日記事を書いているのですが、その部分だけをまとめてみました。
気楽な読み物として楽しんでいただければ幸いです。


5月3日 憲法記念日
1947(昭和22)年の今日、日本国憲法が施行された。 祝日にはかならず意味付けがありますが、憲法記念日は「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」 単に施行の記念だけでなく、国の成長が盛り込まれているのは終戦直後という時代背景からでしょうか。 公布されたのは半年前の11月3日で、この日は「文化の日」になりました。日本国憲法が平和と文化を重視しているからだそうです。 法律と憲法は、どこが違うのでしょうか。多数決で決める法律をもってしても奪ってはならない価値を 予め決めておくのが憲法であり、憲法は強いものに歯止めをかけるためのもの、 そして元々理想を掲げているものであり、理想があるからこそ世の中は前に進むのですね。 憲法の基本理念は「国民主権」「戦争放棄」「基本的人権の尊重」です。近年、憲法改正論議が高まっていますが、 良い部分は残しておきたいものです。イギリスの憲法「マグナカルタ」は800年前に作られた時のままで、 時代の変化には解釈の変更で対応しているそうです。

5月4日 みどりの日
自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ国民の祝日。 え?みどりの日って、かつての天皇誕生日だった4月29日じゃなかったっけ? その日は2007年から「昭和の日」になったらしい。祝日の名称って、そんなにころころ変えていいのかなあ。 そもそも、平日だった5月4日までなぜ祝日になったかというと「祝日と祝日にはさまれた日は祝日とする」という法律ができたから。 そんなに祝日って増えてもいいのかなあ。振り替え休日やハッピーマンデーなんかもあって、休みだらけって気も。 まあそうは言っても今日はとげぬき地蔵の縁日だし、スタジオフォーでは昼の落語会もあるし、 ちょっとぶらぶら巣鴨までいらっしゃいませんか?渋滞はありませんよ。 あ、おばあちゃんたちで渋滞するか。。

5月5日 こどもの日
言わずと知れた「こどもの日」 でもこれ、昭和21年〜昭和23年までは、 「ボーイズデー」と言っていたそうな。 いかにも「進駐軍用語」て感じですが、 実際アメリカでもそうなんだって。 3月3日は「ガールズデー」なんだそうだけど、 これって、日米どっちが先? クリスマスを日本の行事に取り入れたようなもん? ちなみに「端午の節句」とも言いますが、 「端」は始まりの意味、「午」は「五」で、 元々は月の始めのの五の日のことで、その中でも 数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになり、 「菖蒲」は「尚武」と通じて男の子の節句になったそう。 「ボーイズデー」よりも真っ当な気がしますが、 「こどもの日」となった時点で、男女問わずになったのか、 一方、3月3日は女の子だけの日なのか、 そっちは祝日じゃないのにこっちは祝日なのか、 しかも5月4日がいつのまにか祝日。 ナゾだ。。

5月7日 真田幸村が討たれて亡くなった日
真田家は武田信玄の配下だったが、武田家滅亡後領地争いに巻き込まれる。 北条と徳川の和睦のため、徳川から領地の一部差出命令を受け反発、合戦に。 徳川は真田の、小国ながら見事な戦いぶりに攻めあぐねて撤退し、 重臣本多忠勝の娘を真田家嫡男信之へ嫁がせて和睦した。 天下は豊臣の時代となり、真田家も秀吉のもと独立大名として自立、 二男である幸村は、秀吉の重臣大谷吉継の娘を正妻として迎えた。 秀吉の死後、天下の覇権をめぐって関ヶ原の合戦となり、 豊臣に恩義が深い真田家は西軍につくこととなったが、 すでに徳川の家臣となって久しい長男信之は東軍と、兄弟で戦うこととなった。 これは、東西どちらが負けても真田家は生き延びられるという、 小国ならではの知恵でもあった。 昌幸、幸村父子は上田城にて、家康の息子秀忠率いる軍を撃退、 秀忠は関ヶ原合戦の本戦に間に合わず、家康から大目玉をくらうハメとなった。 昌幸、幸村父子は、戦には勝ったものの、西軍の敗戦により切腹のところ、 信之と本多忠勝のとりなしで九度山に配流を命じられるのみにとどまった。 蟄居中父昌幸は死去、幸村は兵法の勉強に余念なく、再起を志していた。 1614年(蟄居14年後)豊臣と徳川の関係が悪化、大阪冬の陣が始まった。 豊臣方は幸村に資金提供し参戦を依頼、 鎧を赤で統一した幸村の軍は目覚ましい働きをする。 手を焼いた家康は「信濃一国を与える」と寝返りの説得をしたが一蹴した。 真田軍は奮闘したものの数に勝る徳川方に豊臣は敗北濃厚、 幸村は「狙うは徳川家康の首ただひとつのみ!」とつぶやくと 真っ正面から家康本陣のみに狙いを定めて突撃を敢行した。 屈強の旗本勢を蹴散らすあまりの凄まじさに、 家康は自害を二度も覚悟したほどだったという。 しかし最終的には徳川軍に追い詰められ、討たれた。 享年49。 首実検の際「幸村の武勇にあやかれよ」と家康が言うと、 居並ぶ武将達がこぞって遺髪を取り合ったそうです。 敵ながら天晴れということで、江戸城内にて誉め讃えることを許したそうな。 兄信之は徳川の世で大名として生き残り、 幸村の二男は逃れて伊達家に仕え、仙台真田家として生き残りました。 戦略家で武芸に秀で信念を貫いた悲劇の武将として、 今でも戦国武将人気ランキングでは常にトップクラス、 ゆかりの地では訪問者が絶えないそうです。 ところで本当の名前は信繁、幸村は明治時代の講談での名前でした。

5月10日 日本気象協会創立記念日
1950(昭和25)年のこの日、日本気象協会(JWA)が創設された。 気象協会は気象情報の伝達・配布、気象調査、気象知識の普及等を行っており、 気象業務を行う内閣府所管の一般財団法人である。 そうです、一般財団法人ってことはお役所じゃないんです。 その証拠に、HPには「じゃらん」の広告が入ってたりします。 でも何となく気象庁管轄のお役所のような気がしていたのは テレビ等への気象情報や解説を独占的に行っていたから。 でも、1993年の気象業務法改正により予報業務が一般に開放され 多くの企業が参入しました。 気象予報士もたくさん誕生し、テレビをにぎわせています。 しかし今でも、地震や津波に関する情報は気象協会しか出せません。 確かに地震情報が業者によってまちまちだったら混乱してしまいますね。

5月11日 鵜飼い開きの日

1300年の歴史と伝統を誇る長良川の鵜飼い漁が解禁になる。鵜飼い漁は、小船の舳先でかがり火を焚き、光に集まってきた鮎をウに採らせる。鵜ののどには紐が巻かれており、ある大きさ以上の鮎は完全に飲み込むことができず、鵜匠はそれを吐き出させて漁獲とする。(小さい鮎は鵜の食料となるわけ)しかし、いつものどに紐をまいて漁をしていると鵜はだんだんやる気をなくしていってしまうので、たまには鵜にも休暇を与えるんだそうだ。モチベーション維持のための休息は鳥にも必要というわけですね。長良川観光の公式HPに、鵜飼いのあれこれが載っています。 http://www.city.gifu.gifu.jp/kankou/ukai_01.html 長良川周辺は温泉もあり、旅館、ホテルでは、鮎料理と鵜飼い見学をパックにしたツアーもあり,, ぜひ一度行ってみたいものです。鵜飼い漁では魚には傷がつかず、ウの食道で一瞬にして気絶させるために鮮度が非常に良いそうですが、ツアーで出てくる鮎料理が、はたしてその鵜飼い漁で採れたものかどうかは確認するすべはありません。。

5月12日 ナイチンゲールの誕生日
1820年生まれ、 イギリスの裕福な家庭で幼少から高い教育を受け、 4ヶ国語の読み書き、哲学、数学、天文学、経済学、芸術など様々学ぶ。 1851年、ドイツに留学し看護教育を受け、看護師を志したが家族に反対される。 当時、看護師は病人の世話をする単なる召使として見られていた。 後に婦人病院長となったナイチンゲールはイギリス各地の病院の状況を調べ、 専門的教育を施した看護師の必要性を訴える。 1854年にクリミア戦争が勃発、前線での負傷兵が悲惨な状況であることを知り、 シスター、職業看護婦38名の女性と共に自ら看護婦として従軍、 衛生状態を改善し、兵舎病院での死亡率を大幅に削減した。 帰国後、克明な報告書をもとに病院の状況分析を開始、 数々の統計資料を作成し、改革のためにつくられた各種委員会に提出、 改革は保健制度のみではなく、軍全体の組織改革につながった。 病人を救うのは宗教者の愛よりも衛生環境であるとして、 近代的な看護理論と病院の衛生管理の指導・普及に多大な貢献をし、 また自然現象のみでなく社会現象も数字で把握できるとして、 いくつものグラフを発明し、実証してみせた。 このためイギリスでは、ナイチンゲールを統計学の先駆者とみなされている。 1857年の従軍中に倒れ、その後原因不明の虚脱症状に悩まされ、 その後の生涯をほとんどベッドで過ごさざるを得なかったものの、 看護学校の設立や後進の指導、講演活動などをこなし、 生涯に150の本と12000通の手紙を書いている。 手紙の大半は世界各地からの、看護と衛生についての質問状への回答だった。

5月13日 カクテルの日
1806年アメリカの雑誌「バランス」にカクテルという名称が初めて登場、 「酒に砂糖と水とビターを混ぜた興奮飲料で選挙運動の妙薬」と紹介された。 現在では「酒+その他の酒 and/or その他の副材料」と定義されている。 もともと酒のカクテル的な飲み方は古代からなされており、 古代ローマではワインの水割、エジプトでは、ビールにハチミツやショウガ、 中国(唐時代)ではワインに馬乳を加えた乳酸飲料など。 当時は酒自体がストレートで味わえるほど高品質ではなく、 風味の補正や、劣化防止手段としての副材料添加だった。 現在のようなキリッと冷えたカクテルは製氷機が発明されてから。 カクテルの語源は各説あるが、一番ポピュラーなものは、 混ぜ合わせる時に使われた木の棒の名「テール・オブ・コック」から。 中国語では「鶏尾酒」と言う。 日本では2011年、初めて「カクテルの日」を制定、 4つのバーテンダー協会・団体が手をつなぎ、記念イベントを開催しました。 しかし今年は、大々的なイベントは、どう検索しても出て来ません。 それぞれ地味に単発イベントはやっているようだが、 やはり立場の違う複数団体の合同イベントには無理があるのか。 HPも去年のイベント以来、一回も更新されてないし。 しかしなぜか富山県だけは、今年もホテル、バーなど47店が参加し、 13〜19日の一週間、一大地域イベントとして開催されるそうです。 富山県民はカクテル好きなんでしょうか。 志の輔師匠に訊いてみたいものです。

5月14日 種痘記念日
1796年のこの日、イギリスの外科医ジェンナーが初めて種痘の接種に成功した。 天然痘はウイルスを病原体とする感染症で、古来から大流行を引き起こし、 致死率も高く、治ってもあばた面になるという非常に恐ろしい病気だったが、 ジェンナーは牛の天然痘を人に移す(種痘)ことで予防できることを発見した。 確認できる最古例は紀元前1100年エジプト王ラムセス5世で、ミイラに痕跡が。 インカ帝国の滅亡も天然痘が原因であるらしい。 エリザベス1世、モーツァルト、ベートーヴェン、スターリンなども罹患。 日本へは仏教伝来の頃大陸から伝わり、奈良時代にはしばしば流行、 源実朝 、伊達政宗(片目失明の原因)、高杉晋作、夏目漱石なども。 江戸時代の死亡原因の第一位でもある。 1977年以降新たな自然発生がなく、 終息に向けて、WHOは各国の研究機関にウイルスの廃棄を命じた。 しかしそれは研究者にとって仕事がなくなることであり 78年焦って成果をあげようとしたイギリスの微生物学研究室でウイルスが漏洩、 上階で働いていた女性が罹患し1ヶ月後に死亡、研究室所長は自殺した。 1980年WHOは根絶宣言を行った。 天然痘は、人間に感染する感染症を人間が根絶した唯一の例で、 現在は予防接種もされず免疫を持つ人はいません。 ウイルスはアメリカとロシアの施設で厳重に保管されているが、 テロリストによる生物兵器に使用される危険性が懸念されているそうです。 占い師との同居などで三面記事を賑わしていたオセロの中島知子は、 実は、現在のところ日本で最後に天然痘を罹患した人物。 幼少時、種痘を受けた家族から弱毒ワクチンが感染(仮性天然痘)、 日本全国から医師の見学や皮膚サンプル提供依頼が多数あったそうです。

5月17日 世界電気通信および情報社会の日
国際機関によって定められた国際デーの一つ。 1973年に、万国電信連合の発足を記念し 「世界電気通信の日」として制定され、 その後、世界情報通信サミットにおいて同じ5月17日を 「世界情報社会の日」とすることが決議されて、 あわせて「世界電気通信および情報社会の日」となりました。 電気通信、情報社会、まさしくコンピュータですよ。 現代社会はこれがないと生きていけない時代、 スタジオフォーもパソコンがないと仕事になりません。 ジャズライブも落語会も、パソコンなんかない時代から存在してたし、 今でもそれ自体は十分楽しいものですが、 その楽しさをお客様に発信し、聴きに来ていただくためには もはやネットの力は欠かせない時代になりました。 しかしそれにしては今日の記念日、地味ですね。 やっと調べて出てくる程度。 どなたかご存知でしたか? 今日が、というよりむしろ毎日が「世界電気通信および情報社会の日」 ということなのかもしれません。

5月18日 18リットル缶の日
全国18リットル缶工業組合連合会が制定。初め石油を入れたので石油缶と呼ばれ、 石油以外のものを入れ始めたら一斗缶と呼ばれ、戦後、アメリカ式に五ガロン缶と呼ばれ、 現在はJIS規格による正式名称18リットル缶となりました。 そこで、「5ガロン」「18リットル」で5月18日。分かり易いような、分かりにくいような。 18リットルは普通の人が運べる最大重量だそうです。金属製なので丈夫、また内側にコーティングしてあるので、灯油でも食品でも何でも入れられ、四角い形で隙間無く積み重ねられる、ということで重宝されています。容易に回収、再加工でき、リサイクル率は何と85.1%。エコな容器というわけですね。まあ一般人にはあまり縁がありませんが。 しかし言いにくい。一斗缶で良かったんじゃないかなあ。だって一升瓶は、1.8リットル瓶とは言わないし。でもそうすると、記念日は今日にはなりませんね。 1月10日かな。(一斗缶の日、とか)

5月19日 ボクシング記念日
1952年(昭和27)年のこの日ボクシング世界フライ級タイトルマッチで、 挑戦者・白井義男がチャンピオンのダド・マリノに判定勝ちし、 日本初のボクシングチャンピオンが誕生。 湯川秀樹博士のノーベル賞受賞、古橋広之進選手の水泳自由形世界新記録と共に、 敗戦でショックを受けた日本人の心に希望の灯をともした。 「ボクシングを見てる人はみな、もっと前に出ろ、打て、等 好き勝手なことを言うが、それよりリングで戦っている者を讃えるべきだ。」 これは、ボクシング好きなセオドア・ルーズベルト(アメリカ大統領)の言葉。 応援するにしろ、現場で戦っている者の気持ちを忘れるな、ということでしょう。 彼は「テディベア」の名前の由来とされる人物だが、 ボクシングにより、50歳で左目を失明しました。

5月21日 小学校開校の日
1869年(明治2年)京都で、民間有志により日本初の近代小学校が開校し、 開校式が上京第二十七番組小学校、後の柳池(りゅうち)小で行われた。 当時の京都には番組という行政区画が置かれたことから番組小学校と呼ばれ、 最初は2校、7ヶ月後には町組ごとに64の番組小学校が一度に開校された。 ほとんどは民間の寄付で、運動場もなく、民家程度の規模だった。 学校としてだけでなく町会所、交番、また保健所や役所の仕事も担っており、 それらの経費はすべては町組が負担という、完全な民営だった。 国が正式に近代学校制度を発足させたのはこの3年後である。 柳池小は戦後の新学制によって柳池中となり、 平成15年統廃合で京都御池中学校となった。 正門横には「日本最初小学校 柳池校」の碑がある。 実は明治以降、日本初というものが京都にはたくさんあります。 1880年(明治13年)公立画学校(京都府画学校、現、京都市立芸術大学) 1891年(明治24年)水力発電所(琵琶湖疏水事業にともなって。今も現役。) 1895年(明治28年)路面電車(水力発電による豊富な電力により) 1897年(明治30年)映画上映(木屋町四条上ル元立誠小学校敷地内にて) 1917年(大正6年)駅伝(京都・三条大橋から東京・上野不忍池まで3日間) 1927年(昭和2年)中央卸売市場(築地など大都市市場のモデルケースとなる) 1956年(昭和31年)自治体直営オーケストラ(京都市交響楽団) 1966年(昭和41年)国立国際会議場(地球温暖化防止会議「京都議定書」) 古くて新しい街だから、京都はいつまでも魅力的なんでしょうね。 もっとも、冬は寒くて夏は暑く、京都人は付き合いにくく、 住みやすいかどうかは、どうでしょう。

5月20日 東京港開港記念日
1941年芝浦、竹芝、日の出埠頭が完成し、外国貿易港として開港指定を受けた。 それまで東京の貿易は横浜港に依存していたが、 関東大震災により大型船が入る港湾設備の重要性が認識された。 戦後、GHQに多くの施設を接収されていた横浜港を尻目に(現在も一部は未解除) 高度成長とともにに急発展し、2000年代には東日本最大の港となった。 (日本一は名古屋港) 正式には「京浜港東京区」で、川崎港(京浜港川崎区)の北に隣接、 主な埠頭とその役割は以下の通り。 大井埠頭(北米・欧州方面の長距離大型コンテナ船ターミナル) 城南島(砂利、石材、建設発生土の積み出し) 品川埠頭(日韓・日中・東南アジアなどアジア近海航路用) 芝浦埠頭(施設の老朽化が著しい為、再開発計画がある) 日の出埠頭(非鉄金属・化学薬品等の拠点、震災時水上輸送基地) 竹芝埠頭(伊豆諸島・小笠原諸島への人や物資の玄関口) 月島埠頭(水産品・窯業品・鉄鋼等の貨物船用) 晴海埠頭(内外の客船が入港する海の玄関口、南極観測船しらせも寄港) 他に辰巳埠頭、豊洲埠頭、有明埠頭などがある。

5月24日 ゴルフ場記念日
1903(明治36)年、イギリス人の茶貿易商アーザー・ヘスケス・グルームにより日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」がオープンした。 1868年1月1日(慶応3年12月7日)に神戸港が開港、グルームはその年来日し、神戸に居留、大阪の士族の娘と結婚する。 イギリス紳士で多趣味なグルームは狩猟も好んだが、日本人の妻は殺生を嫌い、また子供の一人が障害者で、 殺生のたたりと訴えたため狩猟はやめてしまった。おりしも開港して30数年、スポーツを楽しんでいた外国人居留者も 体力が衰え、激しいスポーツに参加できない者が増えていった頃、英国人仲間とお茶を飲みながら、年をとってもできるスポーツで、 自然の中で仲間と楽しめるゴルフをやろう、と衆議一決。グルームはかつて狩猟に通っていた六甲山の開発に乗り出した。 土地を購入し、数年がかりで整地して1901年、4ホールが出来上がり、 2年後9ホールとなり、5月24日に「神戸ゴルフ倶楽部」のオープンとなった。 ここでは近所の子供たちが小遣い銭稼ぎに山道を登ってキャディーを務めていた。小遣いの他に手ほどきや競技もさせていたそうで、 彼らの中から、日本初を始め何人ものプロが誕生した。さてこの100年の間にゴルフ場は2,000を超え、 競技人口は1,200万人になりました。最近親戚の集まりがあったのですが、80才を超えた伯父さんたちが 今でもゴルフに精を出し、嬉々としてゴルフ談議に花を咲かせるなど、他のスポーツにはない長寿性にびっくりします。 グルームさんの遺志が正当に受け継がれているようですね。これからの高齢化社会には一番必要なスポーツなのかもしれません。

5月25日 有無の日
第62代天皇、村上天皇は急な事件のほかは政治を行わず、 理想的な天皇親政の時代を作り、後世の規範となったことから、その忌日(967年)を記念して、ということらしい。 が、「理想の時代を作った人の忌日」がどうして「有無の日」なのかはナゾ。しかも、「政治を行わなかった」のがなぜ理想なのかもナゾ。 単に、たまたま世の中がうまく回っていただけじゃないのか?確かなのは、政治家が何もしないことをヨシとする風潮が、 千年以上も前に始まっていたということですか。実際は天皇親政と言いながら、実権を藤原氏に握られ、 急な事件の他はやらせてもらえなかったということらしい。「政治をしなかった理想の政治家」村上天皇は、 文学と和歌、琵琶に生きがいを求めます。その中でも特に和歌を好み、多くの歌集を編纂させたり、 歌会を催したりして、それが後世の規範になりました。しかしあれこれひっかきまわすだけなら何もしない方がマシ、 ということなら千年前と同じじゃないですか。現代の政治家のみなさんにはボーナス全額返上くらいの心意気で、 もっとしっかりやっていただきたいものです。

5月26日 東名高速全線開通記念日 
1969(昭和44)年、東名高速道路が全線開通。 その4年前完成していた名神自動車道と接続し、関東・中京・関西を結ぶ日本の大動脈となった。 その11年後に生まれたウチの長男、「お母さん、とうめいこうそく道路って、 道路が見えないの?」 と言ったのには笑えました。その純真無垢な子も、今じゃ30間近の 立派なオッサンです。

5月27日 百人一首の日
藤原定家の「明月記」の1235年(文暦2)年5月27日の項に、 和歌百首が嵯峨の小倉山荘の障子に貼られた、との記述から。 和歌は歌仙絵などの形で鑑賞されていたが、 室町時代には細長い紙に上の句と下の句をそれぞれ一行に書き、 それを縦半分に切って混ぜ合わせ、歌を合せるという遊びが流行、 後に蛤貝による貝合わせとなり、これが庶民にも伝わった。 足利時代末期にポルトガル人によりカルタが伝えられ、歌かるたとなった。 明治時代「岩窟王」や「ああ無情」を翻訳したジャーナリスト黒岩涙香は 総ひらがなの現在の標準かるたを考案し、かるた大会を開催、 これが定着し、以後競技かるた大会が毎年開かれている。 百人一首は当時の名歌百撰と思いきや、名人の秀逸な歌はほとんど漏れていて、 選者としての定家の腕を疑問視する声も。 しかし実は、この百首をたて10よこ10の正方形のます目の中に ある特殊な並べ方をすると、隣り合う歌どうしが 上下左右ともに「合わせ言葉」によってぴったりと結びつくのです。 その言葉や歌詞を絵に置き換えていくと、何とそこには 後鳥羽上皇の建立した水無瀬離宮の風景が。 承久の変が挫折し、後鳥羽院が隠岐に流されて離宮は荒廃していったが 定家は引き立ててもらった恩を感じ、和歌集の中に離宮を再現するため 全知を駆使してこの条件に合う歌百首を集めたのです。 ほんとに凄いテクニックですね。 浮かび上がる水無瀬絵図についてはこちらをご参照ください。 http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin01.html

5月28日 花火の日
1733(享保18)年のこの日、両国川開きで初めて花火が打ち上げられた。 これは前年の大飢饉とコレラによる死者の霊を慰め、 悪霊を退散を祈願する水神祭として将軍吉宗が行ったもので、 花火師鍵屋六代目弥兵衛による盛大な打ち上げ花火はその後年中行事となった。   花火の起源は、紀元前3世紀、中国で発明された火薬。 やがて夜間の通信手段として、火薬を煌かせる技術が発展した。 ヨーロッパに伝わったのは13世紀以降、主に王侯貴族のものであり、 権力を誇示するためのイベントなどで揚げられた。 16世紀になるとイングランドで花火の技術が大きく進歩、 ヘンリー8世はテムズ川で水上花火を楽しんだという記録がある。 日本には鉄砲とともに伝わり、戦国時代に火薬がたくさん作られたが、 戦がなくなるとその火薬を使って、花火屋が登場した。 中でも鍵屋は技術、商才に長け、おもちゃ花火を売り出し大流行したが、 火事の原因として禁止令がたびたび出され、隅田川の花火だけが許された。 当時豪商は納涼船を出して鍵屋に花火を上げさせるのが贅沢の象徴だった。 その後番頭の静七が暖簾分けをし、玉屋市兵衛を名乗る。 やがて川の上流を「玉屋」下流を「鍵屋」が担当、二大花火師の競演となり、 これを応援するための江戸庶民はたまや〜、かぎや〜という掛け声をかけた。 しかし35年後、玉屋は出火し大火事となって江戸から追放され廃業となった。 現存する最古の花火師鍵屋は、今も日本の花火界をリードしています。 現在の当主は15代目、先代の次女の天野安喜子さん、42歳。 イベントとして全体の演出面や、観客の視点で調査・研究したり 日本古来の花火である“和火”復活に力を注ぐなど花火の魅力を高めています。 しかも柔道6段で北京オリンピック柔道競技審判員を務めました。(日本女性初) 今年の花火大会はぜひ「かぎや〜」と掛け声をかけてみませんか? ただし、鍵屋が手掛けているかどうかはわかりませんけど。

5月31日 世界禁煙デー(World No-Tabacco Day)
世界保健機関(WHO)が1989(平成元)年に制定。国際デーの一つ。 禁煙マークをプリントしたTシャツを着てマラソン大会などを開き、世界的に禁煙を呼びかけている。 日本では、今日から6月6日までの1週間が禁煙週間で、厚生労働省が標語を定めるなどのキャンペーンを行っている。 以下、過去の標語をピックアップ。(今年は不明)第 1回「たばこか健康か:健康を選ぼう」 たばこ吸ってなくても不健康な人はたくさんいるんですけど。。第 4回「公共の場所と交通機関は禁煙に」 30年かかって達成ですね。 第 9回「スポーツと芸術を通じてたばこのない世界をつくろう」禁煙キャンペーンでもやるのかしら、ちょっと意味不明。。 第 15回「たばことスポーツは無縁(無煙)です。−きれいにやろう!−」これはちょっと面白い。これくらいの標語を作ってほしい。 第 17回「たばこと貧困:その悪循環から逃れよう」たばこと貧困に因果関係?ちょっとこじつけじゃないか? ちなみに私は大学時代ヘビースモーカーでしたが、結婚して自然にやめてしまいました。 禁煙って、簡単ですよ。



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