今日は何の日 3月

●メルマガのオマケでその日の記念日記事を書いているのですが、その部分だけをまとめてみました。
気楽な読み物として楽しんでいただければ幸いです。


3月1日 マーチ(行進曲)の日
「行進曲」と「3月」が同じ綴り(march)ということで。 3月がmarchというのは、冬が終わり、3月から農耕が始まることから、 農耕神マルス(Mars)を語源としている。 冬との区切りということから「区別」「分ける」「境」という意味も持つ。 そこで、歩行のテンポや曲がる止まるを明確化するため拍を区分する、 (行進に必要なタイミングの明白化) という意味合いで行進曲がmarchとなったらしい。 しかしだれがどのような経緯でこの記念日を制定したかはナゾ。 行進のための音楽は昔から存在したが、 いわゆる「マーチ」がヨーロッパに登場したのは17世紀の終わり。 バロック全盛で、バッハが出てくる少し前の時代、 トルコの軍楽隊がヨーロッパにやって来て強烈な印象を与えた。 この軍楽隊は、管楽器と太鼓とシンバルとから成り、舞いながら行軍した。 トルコの軍隊が強かったこともあり、これが非常に流行して、 大太鼓、シンバル、トライアングルを含む合奏曲が、 「トルコ行進曲」または「トルコ風」として多く作られた。 またそれら楽器を含む音楽がトルコを表すものとして使われた。 モーツァルトの歌劇『後宮からの誘拐』序曲や、 ベートーベンの第九にもそういう部分がある。 実は私子供の頃、 マーチは3月のこと、音楽にもマーチがある、ということで、 3拍子の曲のことだとずっと思ってました。 今では音楽について大きな顔をしてますが、お恥ずかしい限り。 でも子供の頃って、とんでもない思い違いすることありますよね? みなさんはいかがですか?

3月3日 上巳(じょうし)の節句、桃の節句
人日(1/7)端午(5/5)七夕(7/7)重陽(9/9)と共に五節句の一つ。 中国からの風習で、古来より季節の変わり目に穢れを祓う日として祝われており、 桃の開花時期であることから桃の節句とも言われるようになった。 桃には邪気を払う力があるとされ、 日本の神話にも桃の実で生命が再生されたという話がある。 (男神イザナギが黄泉の国から逃れる時桃の実を投げて助かる) また、上巳の日には川で身を清め不浄を祓う習慣があり、 後に、紙で小さな人の形を作ってそれにけがれを移し、 川や海に流して不浄を祓うようになった。(流し雛の原型) 人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、 雛祭りとして発展して行った。 元々は、5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたが、 江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、 端午の節句は菖蒲の節句とも言われることから、 「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになった。 豪華絢爛なお雛様、実は災厄を代わりに引き受けてくれる 災厄除けの守り神だったんですね。 昔、雛人形を出してみたら頭がネズミにかじられていて不吉な思いでしたが、 きっと身代わりになってくれたんですね。

3月4日 ミシンの日
ミシン発明200年を記念して日本家庭用ミシン工業会が1990(平成2)年に制定。 「ミ(3)シ(4)ン」の語呂合せ。 1970年、イギリスのトーマス・セイントが世界で初めてミシンの特許を取得。 その後さまざまな発明家が改良を重ね、1800年代半ばのアメリカでは 150社を超えるミシンメーカーがあった。 ボストンの機械修理工場で働いていたアイザック・メリット・シンガーは、 修理に持ち込まれたミシンを改良し現在のミシンの原型を作り上げた。 シンガーミシンは特許紛争を乗り越えてミシンのトップメーカーとなった。 日本では1870年、万延遣米使の通訳として同行したジョン万次郎が アメリカで写真機とミシンを買い求め持ち帰ったのが最初。 その後、ミシン使用による衣服の縫製生産が始まり、 1881(明治14)年、左口鉄蔵が国産ミシン第1号を制作。 1924(大正13)年 現在の蛇の目ミシンが国産の本縫いミシン製造販売開始、 1928(昭和3)年現在のブラザー工業が麦藁帽子用ミシンを製造販売開始した。 戦後家庭用ミシンは、一家に一台ほどに普及しましたが、 これは女性は結婚後は外で働かない時代で、 家族のものの他内職にも使えると嫁入り道具化したからだそうです。 現在国内での需要は頭打ちですが、経済発展中の東南アジア諸国では大人気。 ブラザー工業は、現在はフリンターなどの精密機器メーカーになっていますが、 「ミシン」はもともと「マシン」のなまったものなので、真っ当と言えます。 ミシンの日にちなんだ微笑ましい川柳がありましたのでご紹介。 「初ミシン 心も縫い目も 踊ります」

3月5日 ミスコンの日
1908(明治41)年本日、全国から良家の淑女を対象に募集した写真に 順位をつけて新聞に発表、日本初のミスコンテストとなった。 前年9月、アメリカの新聞社が「ミスワールドコンテスト」を企画、 時事新報社が日本予選として大々的な全国キャンペーンを展開した。 「日本美人写真募集」と銘打ち、芸妓・女優・職業モデルなどは参加不可、 自薦他薦は問わない、ということで、写真のみの審査だった。 賞品はダイヤモンドの指輪など、総額3000円(今の2〜3000万円)相当で、 7,000名もの応募があった。 見事一位に選ばれたのは、学習院女学部3年16歳の末広ヒロ子。 実は義兄が本人に無断で応募したのだが、彼は当時珍しい職業カメラマンで、 ヒロ子をモデルによく写真を撮っていた。 彼は写真を公開したがったが、ヒロ子が嫌がるので残念思っていたころ、 新聞の「日本美人写真大募集」の広告を見、勝手に応募したというわけ。 己の写真家としての技量を世に試したいという気持ちの結果だったが、 実際、彼の撮影技術やセンスがヒロ子の美しさを一層引き立たせ 優勝に導いたといっても過言ではない。 しかし明治時代のこと、学習院側はそれを知り、直ちに協議会を開き 他の生徒等の取り締まり上ということでヒロ子を諭旨退学処分した。 ヒロ子は義兄に迷惑が及ぶのを恐れて弁明せず黙って処分を受け入れた。 この時学長は乃木希典であったが、事実を知って激しく後悔、 中退者となったヒロ子のためによい縁談を、と 陸軍大将野津の長男、鎮之助を紹介、自分が媒酌人となった。 鎮之助は侯爵で陸軍少佐、将来は貴族院議員という立派な家柄。 ヒロ子は、福岡小倉市長の娘で教養もあったがあくまで平民、 この縁談は両親を非常に喜ばせた。 何とジャズピアニアスト山下洋輔は、ヒロ子の姉の孫。 山下は第二次大戦直後に、ヒロ子を何度か見かけたことがあるそうな。 腰は曲がり背中は丸く、両手にリューマチを患った老女となっていて 密かに「カイブツ」と呼んでいたそう。 しかしどう計算しても当時まだ50代半ば。 結婚生活に何かあったんでしょうか。 ちなみに2位になった金田ケン子には結婚の申し込みが殺到、 3位の土屋ノブ子は化粧品の広告モデルとして採用されたそうです。

3月7日 花粉症記念日
1993(平成5)年のこの日、気象庁とNPO花粉情報協会が 花粉飛散情報の発表を始めた。 そもそも花粉症の始まりはいつからでしょうか。 昔はそういう言葉もなかったので現代病のような気もしますが、 実は紀元前500年頃にヒポクラテスによって書かれた本の中に、 それらしき風土病についての記述があるそうです。 また、紀元前130年〜200年頃のローマ帝国、 紀元前100年頃の中国や西暦1000年頃のアラビアなどでも記述が。 近代の最初の臨床記録は1819年にイギリスの医者が報告。 春や秋に干し草と接触することで鼻水やくしゃみなどが発症し、 夏風邪の様な症状から、疾病と考えられていました。 なので英語で花粉症のことは「枯草熱(hay fever)」と言います。 日本では、1960年にブタクサ花粉による花粉症の報告が最初。 それまで日本には存在しないと考えられていましたが 今では人口の15%以上が花粉症に悩まされているとか。 花粉症が現代病と言われるわけは、食生活の変化や ストレスによる免疫低下というだけではありません。 地面が土だった昔は、花粉が飛び散っても大地に吸収され 再び舞い上がることはなかったが、 今は道路が舗装され、コンクリートビルが建ち並び、 一度地面に落ちた花粉が幾度となく舞い上って、 人間が吸い込む確率が高くなっているのです。 花粉症の方には、これからが辛い季節、 マスクやうがいなどで乗り切ってください。 ちなみに私はまだ花粉症ではありません。

3月8日 漫画家水木しげるの生まれた日
本名、武良茂(むら しげる)は1922年(大正11年)鳥取県境港市に三人兄弟の二男として誕生。 お手伝さんの「のんのんばあ」から妖怪の話などでさまざまな影響を受け、 また、死についても深い興味を示す。 愛読書はゲーテで「自分の生き方の基本」だそう。 美大を目指すが、生来のマイペースな性格のせいか、叶わず。 1942年、太平洋戦争へ招集される。 陸軍の兵隊としてラバウルへ出兵、爆撃によって左手を失い、 また、マラリヤで生死の境をさ迷うが、九死に一生を得て復員。 武蔵野美術学校へ入学し、その後紙芝居、貸本マンガを経て漫画家となるも、 最初はなかなか認められず極貧の生活だった。 この頃見合いで結婚した布枝夫人の自伝が、 今度のNHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」である。 43歳の時が「テレビくん」が講談社児童漫画賞受賞、人気作家となった。 なお、貸本時代の絵柄から「子ども向けのかわいい絵柄」に変えるのに、 非常に努力したという。 「妖怪研究家」として日本全国をはじめ世界各国を訪問し、 精力的に妖怪にまつわる資料収集と創作に励み続けている。 また、自身の戦争体験(肉弾戦による地獄や、仲間の玉砕など)から、 反戦の立場での戦争漫画を多数描いている。 非常にユーモラスな人で「春はあけぼの、夏は化けもの」とは水木さんの言葉。 これから、ちょっとした水木しげるブーム? 88歳でまだまだお元気、大したものです。

3月9日 記念切手記念日

1894(明治27)年、日本初の記念切手が発行された。 何かおもしろくないですか? 「記念切手、記念日」 うらにわにはにわ、にわにはにわ、みたいな。 今日発売される記念切手は, 「記念切手記念日記念記念切手」 になるのでしょうか。 目白には「切手の博物館」があります。 大人200円、小中学生100円で、 何と切手でも入場できるそうです。 さらに毎月23日の“ふみの日”は入館無料。 さまざまな切手の展示の他、 古切手の貼り絵も楽しめるとか。 http://www.yushu.or.jp/museum/ ちなみに日本初の記念切手は 明治天皇・皇后両陛下のご成婚25周年を記念して発行され、 内地用の2銭と外地用の5銭の2種類だったそうです。

3月10日 1930(昭和5)年 童謡詩人、金子みすゞが亡くなった。
金子みすゞは1905(明治38)年山口県仙崎の生れ。 20歳の時投稿した詩が認められ、西条八十から大絶賛される。 23歳で結婚、一女をもうけるが、事業に失敗した夫から疎まれ、 詩作を禁じられたあげくに性病をうつされ離縁するが、娘の親権が得られず、 返してもらえるよう懇願した遺書を残して、26歳で服毒自殺した。 今では超有名な童謡詩人ですが、50代後半の私は昔全く知りませんでした。 実は死後ずっと忘れられていたところを、詩人の矢崎節夫氏が数編の詩を発見、 感銘を受け16年に渡り遺稿を探し続け、1984年全集を出版したことにより 広く知られることとなりました。 素晴らしいですね。 が、 矢崎氏はみすゞ作品が生前未発表だったことを理由に二次的著作権を主張、 使用には作品集の出版社を窓口とする「金子みすゞ著作保存会」の 許可を得るよう求めるなど、他者の利用を著しく制限しています。 著作権は作者死後50年で消滅するので、本来誰でも使用できるはずですが、 上記の理由で青空文庫(著作権フリーのネット図書館)にも収録されていません。 みすゞの元夫も、ずいぶんひどい人という印象ですが、 文学者と交流を持ち、称賛されファンレターも来る妻に比べ、 商人で現実的、しかもそれすら失敗した自分、 明治大正の、地方の男性ですから面白くなかったのでしょう。 その後再婚し、みすゞとの娘も良好な関係で穏やかな生涯だったそうです。 しかしこういう「別の見方」も、矢崎氏は著しく排除しているそうな。 天国のみすゞさんはどう思っているんでしょうか。

3月11日 東日本大震災発生
2011年14時46分18秒、震源は宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底。 規模はマグニチュード 9.0で、日本周辺における観測史上最大。 最大震度は宮城県栗原市の震度7、 震源域は岩手県沖から茨城県沖まで約10万平方キロメートルと 広範囲に及び、広い地域で震度6強を観測した。 これにより高さ10m以上の巨大津波が発生、 東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。 また、地震から約1時間後、東京電力福島第一原子力発電所は、 津波により全電源を喪失して原子炉を冷却できなくなり、 1号機と3号機で炉心溶融(メルトダウン)が発生。 大量の放射性物質の漏洩により周辺一帯の住民は長期の避難を強いられている。 2013年3月8日現在、死者は15,881人、重軽傷者は6,142人行方不明者は2,668人、 また、避難所で死亡など震災関連死と認定されたのは2,303人にのぼっている。 改めて数字を見直すと、いかに大変な災害だったかよくわかります。 しかも被災地はいまだに再建のめどがたたない所も多く、 福島の原発も、現状や今後の見通しはまるで不明、 震災はまだ続いているという意識を持ち続けねばと思います。 何か少しでも自分にできることをしていけば、 少しは良くなっていくんじゃないかと思い、 スタジオフォーと山麓アトリエは毎日新聞に奨学金の寄付を続けています。

3月12日 半ドンの日
1876(明治9)年、官公庁で土曜半休・日曜休日制が実施された。 それまでの休日は31日を除く1と6のつく日だったが、交易等で不便なため、 欧米と同じ1日24時間制、7曜日、土曜半休、日曜休日に改めることとした。 当時時計は高価なものだったので、一般の人に時刻を知らせるため、 その5年前から時報として正午に大砲の空砲を撃っていたが、 半ドンとは、この音「ドン」を合図に午後は休みになるということから。 また、オランダ語で日曜日のzondag(ゾンターク)が訛って「ドンタク」となり、 半分が休日の「半ドンタク」→「半ドン」となったとする説も。 福岡の有名なお祭り「博多どんたく」もこれが語源。 週休二日の普及などで半ドンはすっかり死後になってしまいましたが、 もともと学校以外では公務員や中規模以上の会社でしか実施されておらず、 大半の零細企業や自営業は休みもままならない状態でした。 今は勤務の形態も変わり、24時間3交代などの職場も珍しくありません。 半ドンがあった時代はもっとゆったりしていたような気もします。 あ、でももう半ドンという言葉すら知らない世代も多いんでしょうね。

3月14日 円周率の日
円周率の近似値3.14から。世間的にはホワイトデーなので、普通ならお返しに頭悩ませている時期でしょうが、未曾有の大災害になってそれどころじゃない状態だと思います。被害に遭われた方には心からお悔やみ申し上げます。

3月15日 靴の記念日
日本靴連盟が1932(昭和7)年に制定。 1870(明治3)年築地入船町に、日本初の西洋靴の工場が開設。 輸入された軍靴が大きすぎたので、日本人の足に合う靴を作るよう、 陸軍の創始者・大村益次郎が提案した。 今、大河ドラマで「竜馬伝」やってますね。 今も見たばかりなんですが。 着物、草履(あるいは下駄)の生活から一転して洋服。 着物から洋服というのはそんなに違和感なく感じますが、 草履や下駄など、「引っかけて履くもの」から、 足全体を包み込む靴への転換は容易ではなかったんじゃないかと、 この記念日記事を見た時思いました。 しかも足に合う靴なんてなかったような時代ですよ。 今でも足に合う靴を探すのは容易ではないですよね。 そういうことも受け入れて、 工夫を重ねて自分のものにしてきた日本人は やはり素晴らしいんじゃないかと思います。 今、いろいろ叩かれてますが、負けるな、ニッポン!

3月16日 十六団子の日
田の神が山から戻ってくるとされる日で、 東北地方では各地で団子を16個供えて神を迎える行事が行われる。 そして、10月16日、神が山へ帰る日にまた団子を供える。 つまり田んぼの神様と山の神様は同一人物(神物?)というわけか。 すると3月から10月までは、山には神様がいないのかな。 それとも山の神様は別にいて、田んぼの神様は冬の間、 山の神様のところに居候しているのか。 いずれにせよ、今日は神様の移動中というわけです。 お団子16個食べながら、神様に想いを馳せてみましょう。 巣鴨には美味しい伊勢屋の塩大福の他、 駅前の福々饅頭、10円饅頭などいろいろありますよ。 (?饅頭と団子は別物だったな。。)

3月17日 漫画週刊誌の日
1959(昭和34)年 日本初の少年向け週刊誌, 「少年サンデー」「少年マガジン」が刊行された。 ライバル雑誌の、まるで示し合わせたかのような同時発売、 実は仲良しだった、というわけではもちろんない。 雑誌や書籍は、出版社が企画を決め、取次会社にプレゼンをして、 それが通って初めて編集作業、そして印刷、製本作業となる。 刷り上がった本の納入先は取次会社で、ここから全国の書店に配布される。 つまり本を店頭に並べるまでには、かなり多くの人の目に触れてしまい、 その気になればライバル社の本の発売日を調べることも可能。 実際、このときのサンデーとマガジンも水面下で互いの出足を探りながら、 結局同じ日に創刊、さらにサンデーはマガジンの印刷が終わってから価格を決める という裏ワザまで用いて、マガジンの40円に対し30円の定価を付けた。 その結果サンデーが30万部、マガジンが20.5万部でサンデーの勝ち。 しかし5号から定価を30円にしたマガジンの快進撃が始まり タイガーマスク、あしたのジョー、巨人の星などヒット作品を連発、 学生運動全盛60年代の末頃には「右手にマガジン、左手に朝日ジャーナル」 という言葉まで囁かれた。 さて、こういう漫画週刊誌が出てくる以前はどうだったかというと、 実は町の角々に「貸本屋」というのがあって、 一冊5円とかで単行本の漫画を借りて読んでいました。 漫画週刊誌が刊行されても、毎週買える子供は少なくて、 週遅れを貸本屋で借りたり、ふろくだけを10円とかで買ったりしてました。 お〜〜っと、年がバレますね。

3月18日 精霊の日
柿本人麻呂、和泉式部、小野小町の3人の忌日ということで。 3人とも歌人だが、精霊を詠んだ歌が多かったというわけではなく、 なぜ、また誰がこの日を定めたか不明。 ただ、目に見えない超自然的な物を指す「せいれい」ではなく、 人間の霊を表す「しょうりょう」と読むことから、 この時期に死者の魂を追悼する風習があったのではないかとも言われています。 長崎の精霊流し(しょうろうながし)と同じ語源ですが、 1945年3月10日の東京大空襲、2年前の東日本大震災など、 多くの亡くなった方々に思いをよせ、鎮魂の祈りを捧げる日なのでしょう。 死後の世界に旅立てた魂を精霊と呼び、現世に残った魂は幽霊と言うとか。 失われてしまった多くの命が、精霊となって旅立ち、 そしてまた新たな命として現世に戻ってくることを祈りたいと思います。

3月19日 カメラ発明記念日
1839年のこの日、フランスのルイ・マンデ・ダゲールが写真機を発明した。 この写真機は「ダゲレオタイプ」と呼ばれ、銀板写真とも言われている。 長時間露光のため8時間も動けなかったが、大変な人気を集めた。 と、一般的な記念日サイトには載っていますが、実はガセネタらしい。 その年の8月19日、フランス科学アカデミーで公開されたのが公式記録で、 5ヶ月前の3月19日については何の記録もない。 「8」と「3」を、誤植あるいは見間違えたと思われます。 いっそガセネタ記念日にしてはいかがでしょう。 (ガセというのは「人騒がせ」、ネタは種からきた隠語でインチキ商品のこと) ちなみに「カメラの日」というのもあります(11月30日)。 コニカによる世界初のオートフォーカスカメラの販売開始記念日。 こちらのページの下の方に2年前に書いた記事を載せています。 http://www.h3.dion.ne.jp/~studio4/nannohi/11.htm これに書きもらしたネタとみつけました。(ガセではありません) 初心者でも簡単に扱えるということで「馬鹿チョンカメラ」と呼ばれたが、 語源はアメリカでの愛称「Vacation Camera」のローマ字読みだそう。 確かに、バカチョンですね。

3月22日 世界水の日(World Day for Water)
国際デーの一つで、地球的な視点から水の大切さ、 貴重さを世界中の人々がともに見詰め直す日。 日本は水資源が豊富で、水の輸入といえばミナラルウォーターくらい、 と思っていませんか? 実は「バーチャルウォーター(仮想水)」という概念があって、 これは、農産物や製品の生産に使用された水を、 これらの製品を購入した人が間接的に消費したとする考え方です。 具体的には、牛丼1杯作るのに必要な水はおよそ風呂桶10杯、 (牛を飼い、飼料を育て、米を作り、醤油などを生産し、等々) そして全部が輸入なら、それだけの水を輸入したと同じということ。 製品に対する水の消費は農作物が一番多く、 食料自給率の低い日本の仮想水の総輸入量は、 年間で何と約640億立方メートル!(推計)。 これは日本国内における年間総水資源使用量の約3分の2、 また年間灌漑用水使用量多い。 つまり日本は海外の水に依存して生きており、 海外での水不足や水質汚濁等の問題と無関係ではないのです。 マグロで騒いでいる場合じゃない、という気がしてきますね。

6月21日 国際人種差別撤廃デー
1966(昭和41)年の国連総会で制定された、国際デーの一つ。 1960(昭和35)年のこの日、南アフリカのシャープビルで、 人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する平和的デモ行進に警官隊が発砲、 69人が死亡した。 この事件が国連が人種差別に取り組む契機となった。 この日は、世界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開される。

3月23日 黒澤明の誕生日
映画監督、黒澤明の誕生日(1910年生まれ)。 世界のクロサワですよ。 「隠し砦の三悪人」は「スター・ウォーズ」のモデルになり、 「七人の侍」は「荒野の七人」などさまざまにリメイクされました。 他にもクロサワ映画の影響はいたるところで見られます。 「外国語映画賞」になるまえの、アカデミー名誉賞を受賞(1952年「羅生門) 名称が変わった後も、ソ連に招かれて撮った「デルス・ウザーラ」で、 ソ連映画として受賞しています。(1975年) あの「おくりびと」は、初めての日本映画の受賞ですが、 初めて受賞した日本人監督ではなかったわけですね。

3月24日 1933年ドイツで全権委任法可決によりヒトラーが独裁権を獲得

全権委任法(授権法)とは非常事態などの発生に際し、立法府が国家機関に対し、 立法・行政手続きを行わずに権力を行使できる権限を与えるもので、 この時代の憲法には盛り込まれているものが多く、 日本で戦時中に発動された国家総動員法もその一つとみなされている。 ただし、本来の全権委任法が憲法の中での規定であるのに対し、 ナチスによるこれは憲法改定が目的なので、大きく異なっている。 前年の選挙でナチ党が第一党となり、ヒトラーは独裁を確立するため、 授権法の制定を目論見たが成功せず、国会を解散して選挙に打って出た。 選挙中国会議事堂が放火され、オランダ人の共産党員が逮捕されたが、 これをヒトラーは共産主義者の陰謀として、共産党議員や社会主義者を次々逮捕、 選挙に大勝して授権法を成立させ、独裁権を手にした。 「ワイマール憲法がいつのまにかナチ憲法になったように粛々と、」 などとバカなことを言ってたのは誰でしたっけ。 いつのまにかでも、粛々とでもなく、ヒトラーは 反対派の逮捕や脅しや弾圧で独裁を手にしていったわけです。 この時代のドイツは、第一次大戦の疲弊やインフレで経済は破綻状態、 人々は国力をアップしてくれる強いリーダーを欲していました。 ヒトラーの登場は、国民が彼を望んでいたということなんですね。 今の日本も国際競争力の低下、経済の低迷などで強いリーダーを望み、 結果、一党独裁的政府が誕生、一方的な強権政治がなされつつあります。 なんだか怖いですね。

3月25日 電気記念日
1927年(昭和2年)に日本電気協会が制定。 1878(明治11)年のこの日、東京・銀座木挽町に開設された、 中央電信局の開局祝賀会が虎ノ門の現・東京大学工学部で開かれ、 会場に50個のアーク灯が点灯されたことから。 祝賀会は、大臣や各国行使など150名を越える人々が参加、 会場に電気灯をという伊藤博文の特命を受けた英国人エアトン教授は、 グローブ電池50個を使いアーク灯を点灯するため難しい調整を行い、 目もくらむような青白い光を点灯させ、講堂をくまなく照らし出した。 その場にいた来賓たちは「不夜城に遊ぶ思い」と驚嘆の声をあげたそう。 これが日本で初めて灯った電灯で、一般市民が初めて電気光を目にするのは、 4年後の明治15年(1882年)、東京電灯会社が銀座二丁目に設置した街灯。 当時の新聞は「見物の群集は市街に満ち」と報じた。 ほんとに電気がないと現代生活は成り立ちませんね。 電気がないとスタジオフォーも営業できません。 しかし2年前の震災で、原発はいかに恐ろしいかがよくわかりました。 原発に頼らない方法を考えていかなくてはいけないと思んですが。

3月26日 ベートーヴェンの亡くなった日
1770年12月、ドイツのボンにて生誕。 祖父は宮廷楽長、父は宮廷合唱団の歌手という音楽が日常的な生活環境の中、 話せる前から聞いた音楽はすぐに口ずさむという才能の持ち主だった。 3歳のときに祖父が亡くなり、歌手としての父親の収入だけになったが、 祖父の名声や稼ぎに寄りかかっていた典型的ダメ親父で、 酒乱で酒に浪費、さらに喉まで潰してしまったので生活が困窮。 そこで息子を当時のスター、モーツァルトのような天才少年に仕立て、 その稼ぎで自分を養ってもらうことを目論み、本格的に音楽教育を始める。 酒乱の父親の教育は虐待と言えるくらいに厳しかったが、 やさしく愛情深い母親のために歯を食いしばって練習した。 なお後年発症した難聴は、この頃父親に殴られた後遺症ではないかという説も。 8歳で演奏会に出演、13歳で宮廷のオルガン演奏家となり、 父親に代わって家計を支えるようになった。 16歳の時ウィーンに行き、かねて憧れていたモーツァルトに弟子入りしたが、 最愛の母親の病状が悪化しボンに戻った。 母の死後、アル中の父親と弟たちのために仕事を掛け持ちして家計を支ていたが 21歳の時、ボンに立ち寄ったハイドンに認められて弟子入り、 ウィーンに移住してピアノの即興演奏の名手として名を馳せた。 この頃ハイドンは売れっ子で忙しく、実際には直接何の指導もなかったらしい。 師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、 「確かに生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねたそうだ。 20代後半で難聴が悪化、ほとんど聞こえなくなり、絶望して自殺も考えたが、 強靭な精神力をもって苦悩を乗り越え、新しい芸術の道へと進んでいった。 交響曲第3番エロイカを皮切りに、傑作と言われる作品のほとんどは 難聴になった後に書かれている。 40代に入るとほぼ聞こえない状態にまで陥り、持病の腹痛や下痢、 後見人となった甥の非行や自殺未遂などさまざまな苦難の中、 交響曲第9番(合唱付き)やピアノ・ソナタ、弦楽四重奏曲など傑作を残した。 56歳で10番目の交響曲に着手するも、肺炎が急激に悪化し黄疸も発症、 未完成のまま肝硬変により永眠した。 その葬儀には2万人もの人々が駆けつけるという異例のものとなり シューベルトも棺の周りで松明を掲げて歩いたそうです。 さて「第九の呪い」をご存じでしょうか。 交響曲という音楽形式を考案したハイドンは77年の生涯に108曲を書き、 次の世代のモーツァルトは35年の生涯に41曲を書きましたが、 それを完成させたベートーヴェンは56年で9曲しか書いていません。 次のシューベルトは8個の交響曲を書いた後、9番目の第三楽章までの途中、 わずか31歳で死んでしまいます。(最高傑作「未完成交響曲」) この辺りから『交響曲9番を書くと死ぬ』という噂が立ち始めました。 「交響曲9番新世界より」を書いたドボルザークも10番を書かないまま死去。 この噂にビビったのがマーラーです。 彼は9番目の交響曲を書き上げた時、これで死んでたまるかと考え、 番号を付けず「大地の歌」というタイトルにしたところ死ぬ気配もないので、 安心して第9交響曲を書き上げますが、10番を書いている途中で亡くなりました。 このジンクスを打ち破ったのは現代の天才ショスタコビッチで 彼は68年の生涯に15個の交響曲を完成させています。

3月28日 スリーマイル島記念日
1979(昭和54)年のこの日、アメリカ・ペンシルベニア州のスリーマイル島原発で放射能漏れ事故が発生、 これは世界初の原発事故だった。 福島の原発事故がいまだ収まらず、不安な日々を過ごされているかと思います。 (私もです) ニュースでよく「スリーマイル島事故と同程度」と言われていますが、 ではその「スリーマイル島事故」とはどんなものだったのでしょうか。 スリーマイル島はペンシルヴァニア州の州都郊外に位置する川の中洲で、海に浮かぶ島ではありません。 ニューヨークから高速道路で4時間内陸に入った所、というと東京と福島くらいでしょうか。 事故は原子炉の核心部ともいえる炉心部分が冷却水不足のために溶けてしまうという大変なものでした。 ことの始めは本体からは遠く離れた小さなトラブルのせいで蒸気発生器の給水が停止、 冷却水を入れなければならないのに、ランプの表示が不適切であったり、 運転員が気付かずかえって緊急冷却装置を絞ってしまい、圧力が上昇、 圧力を逃がすために開いた加圧器逃がし弁が開きっ放しになり、 原子炉の冷却水が漏れて、原子炉の空焚き、燃料の溶融・崩壊に至りました。 「原子炉が爆発するのか。大都会の集中したアメリカ東部が崩壊するのか。」 というニュースが刻々と続き、住民が続々避難を始めました。 事故3日後には「8キロ以内の学校閉鎖、妊婦・学齢前の幼児の避難勧告、 16キロ以内の住民の屋内待機勧告」などが出され、 周辺の自動車道路では避難する車による大パニックが発生しました。 この工場は資金難から建設コストを安く抑えたため、運転前からあちこちでトラブルが起きていたのに、 採算面から一日も早く完成させ、一刻も早い営業運転を目指したこと、また、 「二重三重の安全装置があるから安全」との思い込み等によりついに大事故に至りました。 結局、約16時間後に冷却材のポンプが稼働して事態は収束に向かい、 以下のような経緯をたどって、現在も原発は稼働しています。 「原発について行政も住民も猛勉強し、風評やデマに惑わされない」 「信頼する州裁判所が、原発稼働を判決で容認して住民の恐怖心を緩和」 「原発トップが交代して透明性を高め、住民の信頼を強化」 「万一の事故に備え、地方自治体と原発側の日ごろの連携を強化」 「市は緊急事態管理庁を設置し事故の際の避難場所を指定、バスで大量輸送するルートを周知徹底」 「各家庭には放射線対策用の飲み薬と、原発関係の連絡先一覧を配布」 福島はいまだ終息していないので、同程度どころかもっとひどいんじゃないかと思われますが、 日本の原子力委員会は最近まで「スリーマイル島事故より軽い」と言い続けました。 (現在は「同程度」という認識になっています) 現場はともかく、上層部の認識の甘さには怒りを覚えますよ。 とにかく早く終息して欲しいし、その後もきちんとした対応をして欲しいものですが、 たとえ終息後に上記のような対応になったとしても、原発はもう勘弁して欲しいです。 なお「福島第一原子力発電所事故」で検索するとウィキペディアに詳しい情報が載っています。 (URLは長すぎるので割愛) またこちらのサイトではミリシーベルトという単位についてなど 原子力や放射能について詳しく書かれています。 「原子力を考える会」 http://www.nuketext.org/index.html 正しい情報を得て、風評やデマに惑わされないようにするのが今一番大切なことではないかと思います。

3月29日 「ホタルイカ群遊海面」が国の特別天然記念物に指定された日
制定は昭和27年。ホタルイカが群遊する富山県、富山市水橋より魚津市にいたる海面が指定されました。 産卵時期(3月〜5月)になると、発光しながら 大群で海岸近くまで押し寄せる、ダイナミックで神秘的な現象が見られます。 沖合いで成長し、春に沿岸域で産卵して生涯を終える、 約一年の寿命ですが、深海性発光動物であるだけに、 生態の解明には長い年月がかかりました。 発光部分が目、腕、皮膚と3種類であると解明するまで半世紀、 まだまだ生態や生活史に多くの謎が秘められています。 ロマンがありますね。 でも、群遊海面は特別天然記念物なのに、 ホタルイカ自身は、指定されていないのも不思議な気が。 個人戦より団体戦ですか。 指定されちゃうと採って食べたりできないからかも。 ともあれ今が旬、美味しい富山の味覚をいただきましょう。

3月30日 マフィアの日
13世紀頃のシチリア島はフランス国王の叔父による苛酷な支配が続き、 1282年本日、ついに市民とフランス軍の衝突が起きたのですが、 (シチリアの晩鐘事件) その反乱のスローガンが「マフィア」の語源と言われている。 しかしこれは後からでっち上げた話らしい。 もともとシシリー島の方言で乱暴者のことをマフィアと言っていて、 イタリア語の辞書にもそう載っているらしいです。(未確認) シシリー島は、イタリア半島、長靴のつま先にあたる三角形の大きな島で、 イタリアの特別自治州、地中海最大の島です。 もともとはギリシア人が支配、その後カルタゴやローマなど さまざまな国に支配されてきました。 そのせいか、一般住民の生活は苦しく、しかし互いの絆は強く、 それがマフィアを生み出していったのでしょうか。 州のシンボルは何と足が3本生えたメデューサの首。。 そこにもシシリー人のパワーを伺えますね。 シチリアの晩鐘事件の起きた1282年のこの日は、復活祭の翌日の月曜日。 700年以上も前の月曜日の出来事に思いを馳せてみるもの一興かもしれません。

3月31日 オーケストラの日
日本オーケストラ連盟が2007(平成19)年1月に制定し、その年から実施。 耳に一番、耳に良い日の語呂合せ、春休みで親子でイベントに参加しやすいことから。 オーケストラとは、複数の管弦打楽器による楽団という意味なので、 ジャズ(ビッグバンド)やラテン等も含まれるが、ここではクラシックの楽団を指す。 16世紀に合奏の形態が見られ、18世紀以降オペラの隆盛と共に大いに発展した。 近代オーケストラの主な編成は、 弦楽器(第一バイオリン16名、第二14名、ビオラ12名、チェロ10名、コントラバス6名) 木管楽器(フルート、クラリネット、オーボエ、ファゴット2名ずつ) 金管楽器(トランペット、ホルン、トロンボーン4名ずつ、チューバ2名) 打楽器4名(ティンパニ、大太鼓、スネア、シンバルなど持ち替え) 人数はだいたいのもので、曲や指揮者によって変動、別な楽器が加わったりもする。 弦楽器の各パートはほとんどユニゾン(全員同じ音を弾く)だが 菅、打楽器は一人一パートなので、弦は団体戦、菅、打は個人戦と言える。 大きなオーケストラになると構成員は100名を超える。 さて、交響楽団と管弦楽団はどう違うのでしょうか。 実は規模や内容の問題ではなく、単なる名称としての違いだけなのだそうです。 世界の楽団の訳名としては、Philharmonic Orchestraが管弦楽団、 Shinphony Orchestraが交響楽団としているようです。 ただ、交響楽団という呼称は、ステージコンサートが中心で オペラは演奏しない団体という意味で使うこともあるそうです。 本日、文京シビックホールで日本オーケストラ連盟によるイベントが行われます。 日本の12楽団が趣向を凝らした空間を演出するオーケストラ広場、 バックステージツアー、ゲネプロ公開、楽器体験など、なかなか楽しそうですよ。 いいお天気にもなったので、一つお出かけになってはいかがでしょうか。


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