今日は何の日 12月

●メルマガのオマケでその日の記念日記事を書いているのですが、その部分だけをまとめてみました。
気楽な読み物として楽しんでいただければ幸いです。


12月1日 映画の日、鉄の記念日
1896(明治29)年11月25日、 神戸で日本で初めての映画の一般公開が開始された。 この会期中のきりの良い日を記念日とした。 今日はロードショーが1,000円で見られます。 そして、 鉄の記念日 日本鉄鋼連盟が1958(昭和33)年に制定。 1857(安政4)年、岩手県の釜石高炉 (現在の新日鉄釜石製鉄所)が操業を開始し、 日本の近代製鉄の幕開けとなった。 鉄と言えば、山麓アトリエですよ。 http://www.ops.dti.ne.jp/~sanroku/ アトリエでは毎年、お払いをして映画を見に行って、 お神酒をいただいているそうで、 実に由緒正しき、理にかなった12月1日の過ごし方ですね。 また、愛子様の誕生日でもあり、 ウチの息子も誕生日です。

12月2日 原子炉の日
1942年エンリコ・フェルミが、実験用小型原子炉でウランの連続核分裂に成功した。 フェルミはイタリア、ローマ出身の物理学者。 若いころより物理学で非凡な才能を発揮、 放射線元素の発見などで1938年ノーベル賞を受賞した。 当時のイタリアは親独のムッソリーニ政権下、 式典出席のためユダヤ人の妻と共に出国し、そのままアメリカに亡命した。 アメリカではコロンビア大学の物理学教授となったが、 ドイツで核分裂実験に成功したことを知り 原子爆弾開発プロジェクトであるマンハッタン計画に参加した。 放射線や核分裂の研究や実験はそれまでも行われていたが、 原子炉における安定、連続した核分裂の成功こそが原爆開発のカギだった。 歴史に「もしも」はありませんが、フェルミの妻がユダヤ人でなければ、 原爆開発は遅れ、日本に落とされることはなかったでしょうね。 科学者たちは、日本への投下に反対して大統領へ請願書を送り、 これが世界で最初の反原爆運動になりました。 戦後アメリカはソ連に対抗して水爆を開発しましたが、 フェルミは開発そのものにも反対していたそうです。 科学者は新しい世界を純粋に追い求めるが、それが兵器として使われ 何万もの命を奪うのは、良心の呵責を感じざるを得ないことでしょう。 なお、原水爆実験によって生まれた巨大怪物が、 戦後の復興に沸く東京を破壊しつくすという映画「ゴジラ」は 米の水爆実験による日本漁船の被爆、第五福竜丸事件をヒントに制作された、 水爆実験反対の強烈なメッセージなのでした。

12月3日 カレンダーの日
全国団扇扇子カレンダー協議会が1987(昭和62)年に制定。 明治5年12月3日(旧暦)が太陽暦の採用によって明治6(1873)年1月1日となった。 この詳細は、下記URLの10月15日グレゴリオ暦が施行された日をご参照ください。 http://www.h3.dion.ne.jp/~studio4/nannohi/10.htm さて、今回の注目は、「全国団扇扇子カレンダー協議会」なるもの。 うちわ、せんす、カレンダーですよ。 実はこれ、PR販促用アイテムの元祖なんです。 年末は社名、店名入りのカレンダー、 お中元時期は「暑中お見舞い」のうちわや扇子ということで、 「夏物」「冬地」という呼び名で取引していたそうです。 戦後、物不足や統制で業界が壊滅しましたが、 何とか再建させようということで、協議会が設立されました。 うちわはは香川県丸亀市の平柄うちわ産地、京都市の京うちわ産地、 扇子は京都、名古屋の産地、カレンダーは全国の専門業者が参加。 時代に即した商品開発や研究の他、 国会で祝日法案の論議が始まるたぴに「施行は2年後から」という 陳情運動を展開して成果をあげているそうです。

12月5日 バミューダトライアングルの日
1945(昭和20)年の本日、大西洋上で米軍機が突然消息を絶った。 このフロリダ・バミューダ・プエルトリコの三点を結ぶ三角形の海域では それ以前から多くの船や飛行機が行方不明になっていた。 単に多発というだけではなく、船や航空機が突然姿を消して残骸がない、 あるいは残骸はあっても人間だけが消えている、 最後の交信が「あーっ!何だこの世界は!」という絶叫、などから、 魔の三角海域「バミューダトライアングル」として有名になり、 磁場異常により発生したプラズマトンネル説、UFOによる誘拐説、 異次元空間説、隕石衝突説、などさまざまな解釈が試みられた。 ただし、実際にはこの海域のみ遭難事故が多いという事実はなく、 この「伝説」が広く知られるにつれ、 付近で起きた事故が関連づけられて説明されるようになり、 遭難が多発する地帯という誤った認識が広まったものらしい。 また、原因の多くは悪天候や操縦ミス、計器の故障などで、 この地域はハリケーンや霧の多発地帯でもあり、 周辺に目印となる島や構造物も無いため遭難しても救助されにくい、 強力なメキシコ湾流により短時間で航空機や船舶の残骸が遠くに流される、 などという事が考えられ、近年は原因不明な事故の報告はない。 しかしフィクションの題材としては大変面白いので、 これまで本やテレビや映画などで多く取り上げられましたが それも最近は見かけませんね。 真相の究明は大切ですが、ロマンも消えてしまって、 ちょっぴり寂しい気もします。

12月6日 音の日
日本オーディオ協会が1994(平成6)年に制定。 1877年のこの日、エジソンが自ら発明した蓄音機で 録音・再生することに成功、まさにオーディオの誕生日です。 日本オーディオ協会は記念行事として、「音の匠」顕彰、 「日本プロ音楽録音賞」授賞式、「音の日の集い」などを実施しています。 「音の匠」というのは音を通じて技術や文化に貢献した方々のこと。 第一回の匠は2人のJR職員で、 路線の状態をハンマーによる打音で判断する能力ナンバ−ワン、 超高速走行時のパンタグラフの騒音低減で「のぞみ」の高速化実現、という方。 その後はCD発売20周年の年、CD開発および改良に貢献した技術者20名や、 優れた聴覚と音響技術を用いて漏水の発見に努めている東京都水道局の 漏水調査の専門職員の方々など、ホントに「音」の匠。 過去14回の間に音楽家は誰もいませんでしたが、 本当に「音」の世界も奥が深いですね。 はたして今年はどなたになるんでしょう。

12月7日 大雪
冬至や春分などと同じ、二十四節気の一つで、雪が激しく降り始める頃。 天文学的には、天球上の黄経255度の点を太陽が通過する時、 ということなので、12月6日の年もあったりします。 春分の日も年によって日にちが違うのと同じ。 ブリなどの冬の魚の漁が盛んになり、熊が冬眠に入り、 南天の実が赤く色附く頃、と言えば 「寒さが本格的になる」と言うより楽しげです。 昔の人は暑さも寒さも、それ自体が生活だったわけですね。 もうひとつ、クリスマスツリーの日、というのもあります。 1886(明治19)年のこの日、横浜で外国人船員のために 日本初のクリスマスツリーが飾られました。 お、ちょうど、NHKの「坂の上の雲」の時代です。 世間では年々出現が早くなっていくクリスマスツリーですが、 まだの方は今日あたり、飾り始めてもいいかもしれませんね。 スタジオにも大きなツリーがあるのでそろそろ出そうと思います。

12月8日 太平洋戦争開戦記念日、ジョン・レノンの命日
1941(昭和16)年12月8日、日本軍がハワイ真珠湾の アメリカ軍基地を奇襲攻撃し太平洋戦争が勃発した。 いわゆる「真珠湾攻撃」、リメンバー・パールハーバーです。 終戦後は米ソ冷戦となり核兵器がどんどん開発され、 第三次世界大戦の恐怖が取りざたされましたが、 今は核拡散ならぬ、テロ拡散の様相、 いったいいつになったら平和な世界が訪れるのでしょうか。 平和を願ったジョン・レノンも1980年の本日、 自宅アパート前でピストルで撃たれて死亡しました。 合掌。

12月9日 王政復古の大号令が発せられた

幕末、黒船の来航など諸外国の開国圧力が高まり、また尊王思想が広まるなど、 これまでの幕藩体制の維持が困難になったことなどにより、 慶応3年(1967年)10月13日将軍徳川慶喜は政治を朝廷に返上する(大政奉還)。 しかし慶喜は新体制のもとで徳川家による政治を行っていくつもりだった。 これに危機感をいだいた岩倉具視ら倒幕派公卿は薩長の有力者を集め、 天皇中心国家への復帰宣言「王政復古の大号令」を発令、 江戸幕府・摂関制度の廃止と明治新政府樹立が宣言された。 これは慶喜に辞官納地(官位返上、領地供出)を求めるものでもあった。 大政奉還により政権は奪ったものの、新政府には何の財源もなく、 依然として大きな力と財源を持つ徳川家はやっかいな存在だったのだ。 辞官納地を迫れば必ず旧幕府勢力は反発し、戦争になる、 それを叩き潰して初めて新体制が確固たるものになる、という岩倉の目論見通り、 鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争を経て旧幕府勢力は完全に消滅したのだった。
最後の将軍、徳川慶喜はかなりの政治的手腕の持ち主だったようです。 しかし幕府体制そのものが天皇の権威を背景に成り立っていたので、 天皇と対峙することはかなわず、静かに表舞台から姿を消しました。 その後は駿府に居を構え、潤沢な隠居手当で趣味に没頭したそう。 しかし何と60歳の時に巣鴨に移り住み、65の時には公爵に叙せられ、 貴族院議員にも就いて、35年振りに政治に携わり、77最で死去、 徳川歴代将軍の中で最も長生きした人でした。

12月10日 ノーベル賞授賞式
スウェーデンの科学者、アルフレッド・ノーベルは 爆発力が強いがコントロールの難しいニトログリセリンを 世界で初めて安全確実に爆発させる方法を発明、 「ダイナマイト」として売り出し、巨万の富を築いた。 生涯独身で子供もいなかったため、 遺産は人類のためにに貢献した人物に贈るよう遺言、 これがノーベル賞であり、授賞式は命日である本日行われる。 ダイナマイトが平和利用だけでなく、武器や兵器にも使用されたため、 死の商人というイメージとなり、死後の評価を非常に気にしたためらしい。 ノーベル賞は物理学、化学、医学生理学、文学、平和、経済学の6分野あり、 このうち経済学賞は他賞と異なり68年後にスウェーデン国立銀行が設立、 正式名称はアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞。 賞金は遺産の運用益約1億円だが、昨今の利回り低下で今年は2割少ない。 日本では湯川秀樹氏が初めてノーベル賞を受賞した時、 賞金への課税に世論が反発、所得税法が改正されて非課税となった。 拠出元がスウェーデン国立銀行の経済学賞には課税される(ノーベル基金でないため) が、 日本人の受賞はまだない。
受賞者は欧米中心という批判も多いノーベル賞、 その中で非欧米圏で日本は断トツに受賞者が多いのです。 本日の山中伸弥教授の晴れ姿とともに、 日本人としてもっと誇ってもいいんじゃないでしょうか。 なお、晩餐会に使われるカトラリーは新潟県燕市の山崎金属工業製だそうです。

12月12日 バッテリーの日
社団法人電池工業会が1985年(昭和60年)年に、 冬季の車のバッテリー点検を呼びかけるため、カーバッテリーの日を制定。 のち車以外の需要の高まりから、1991年に「バッテリーの日」と改称された。 バッテリーの語源はラテン語のbattuere(打つ)で、バッターやバトルも同じ。 弾を発するものとして砲台のこともバッテリーと呼び 電気を発するものとか、ボールを発するものということで、 電池や投手(とその球を受ける捕手の組)のこともこう呼ばれるようになった。 そこから日付の由来が野球のバッテリーの守備位置(1と2)となったが、 1月2日ではなく12月というのはやはりバッテリー点検のためでしょう。 今日本で主に使われているバッテリー(蓄電池)は、 鉛、ニッケルカドミウム、ニッケル水素、リチウムイオンの4種類、 それぞれ一長一短あり、用途によって使い分けられています。 こまめにフル充電する必要がある鉛電池は、車のバッテリーに最適。、 ハイパワーだが放電に弱く、数回バッテリー上がりするとダメになる。 ニッケルカドミウムは昔の充電式乾電池で、ニッカド電池のこと。 パワーはあるが、カドミウムが環境に悪いということと 途中充電するとパワーが落ちる(メモリー効果)ので、今は衰退しています。 ニッケル水素は商品名「エネループ」、メモリー効果もほとんどなく、 充電回数も最高2,000回、ただし若干パワーが低いので使えないものもある。 パソコン、携帯などに広く使用されているリチウムイオンは、 エネルギーが高いが危険度も高いので、電池単体ではなく、 安全装置を付けた電池パックとして販売されてる。 それでも、発火などの事故が時々発生しています。 さて一番気になる所は、充電方法と耐久年数たど思います。 使いきってから充電した方がいいのか、その反対か、過充電は大丈夫なのか。 車用バッテリー以外は充電回数によって寿命が決まるようで、 こまめに充電というより、しっかり使ってしっかり充電が長持ちの秘訣、 過充電も、今は安全設計されているので心配ないそうな。 以上私が色々調べて書きましたが、もし間違いあったらお知らせください。 なお電池工業会は毎年「プロ野球最優秀バッテリー賞」を選考し表彰していて、 今年は吉見一起&谷繁元信(中日)、 田中将大&嶋基宏(楽天)でした。

12月13日 正月事始め
昔はこの日に、門松やお雑煮を炊くための薪等、 お正月に必要な木を山へ取りに行った。 江戸時代の暦では、旧暦の12月13日は必ず「鬼[き]」になっており、 鬼の日は婚礼以外は全てのことに吉とされているので、 正月の年神様を迎えるのに良いということから。 しかし今では松飾りもおせちも買ってくるだけという人も多く、 ピンと来ないかもしれません。 どちらかというと、もうすぐクリスマスという気分ですが、 今日だけでも正月準備、いかがでしょうか。

12月14日 四十七士討ち入りの日
1702(元禄15)年、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りした、ご存知、忠臣蔵の日です。 主君の仇を2年もかけてやっと取ったということで、 江戸の町民は大喝采、英雄として無罪放免という声が盛り上がりました。 そもそもケンカは両成敗というのが通念だったのに、 松の廊下事件で一方的に浅野が責を負わされ、それを家臣が復讐したわけで、 浪士たちを無罪放免にしてしまうと、さきの事件の裁断が間違っていたと 幕府自ら認めてしまうことになる。 かといって、一般の押し込み強盗と同じ扱いにはできない。 そこで登場するのが、落語「徂徠豆腐」でおなじみの 幕府御用学者、荻生徂徠先生、 「武士の本懐を遂げた」ということで切腹という決断をしました。 切腹はこの時代の武士にとって、非常に名誉なことだったのです。 一説にはこの後生きながらえて犯罪でも犯したら 赤穂浪士の美談に傷がつくから、という考えもあったそうです。 確かに300年以上たってもなお、日本人の心をしっかり掴んでいますが、 討ち入りに参加した浪士は下級武士がほとんどで、 お家断絶になって行き場を失った者ばかりだったとか。 こうなると単なる美談というより、なんだか色々考えさせられますね。

12月15日 観光バス記念日
1925(大正14)年、東京で遊覧乗合自動車(観光バス)が登場、 皇居前〜銀座〜上野のコースを走った。 女性のバスガイドが初めて登場したのは 1927年、別府・亀の井自動車(現:亀の井バス)において。 そもそも、バスガイドは1925年に“はとバス”で知られる東京周遊バスが 豊富な知識をもつ大卒の学士を雇って観光案内をさせたことから始まったが、 これに対し亀の井自動車では若い女性車掌をバスに乗せ、 歌いながらの観光案内をするというアイディアを思いついて実施し大評判。 このことが全国に広まって「観光バスに女性バスガイド」という 現在の形態が定着していったのだそうだ。 現在は、初心にたちかえってか、女性だけでなく、 うら若き男性バスガイドも数多く登場しているそうです。 オバサンとしてはそういう観光バスに乗ってみたいかな、やっぱ。

12月16日 
紙の記念日 1875(明治8)年、東京・王子の抄紙会社の工場で営業運転を開始、 日本で初めて洋紙の生産が始まった。 この抄紙会社を設立したのは明治の一大実業家、渋沢栄一。 彼は、西洋式の印刷機に使用できる洋紙を生産して出版事業を支え、 本の普及を促し、結果日本の文明水準が向上すると考えた。 王子に工場が建てられたのは、川のそばで生産に必要な水が得られたこと、 原料や製品の運搬に便利であること、 東京のそばで原材料(ボロ布)が大量に得やすかったこと等から。 この工場は王子製紙として一大発展を遂げるが、 戦後はGHQにより解体させられる(苫小牧、本州、十條)など、 分割統合を繰り返し、現在日本でトップ、世界第五位。 王子工場は空襲でほとんど焼けてしまいましたが、 唯一残った発電所の建物を利用して「製紙記念館」が設立され、 その後移転して飛鳥山公園内に「紙の博物館」がオープンしました。 スタジオフォーへ都電ですぐ、イベントやカフェの前にいかがでしょう。 様々な紙の展示、企画展のほか、紙すき教室などのイベントもやっています。

12月17日 ブータン建国記念日
1907年ウゲン・ワンチュクがブータンの初代国王に即位。 ブータンはインド東部の北に位置し、その北部は中国のチベット自治区。 広さは九州くらい、人口約74万人だが経済は日本の人口5万人程度の市町村規模。 世界で唯一チベット仏教(ドゥク・カギュ派)を国教とする国家で 公用語はゾンカ語だが18もの言語があるため、教育は英語で行われている。 テレビはほとんどインドの番組のため、ヒンドゥー語も通じる。 主な輸出品は電力。(ヒマラヤの豊富な水力による発電) 長い間僧侶と俗人の代表による二頭体制だったが、 1907年に東部トンサ郡の領主ウゲン・ワンチュクが世襲の王位に選ばれ、 初代ブータン国王となった。 2004年12月世界初の禁煙国家となり、煙草の販売が禁止された。 2005年には初めて総選挙が実施され、立憲君主国家となった。 国王は65歳の定年制で、ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク現国王は32歳。 日本とは気候・植生がよく似て、仏教文化の背景もあるため非常に親日的で、 震災後の外国の要人としては初めて国王が国賓として来日、(2011年11月) 国会にて日本人を励ます演説をした。 また、2年の柔道経験があり、講道館を訪れて初段の贈呈を受けた。 ブータンと言えば、GNH(国民総幸福度)で幸福の国として有名になりました。 医療費、教育費が無料で2005年には97%の国民が幸福と回答。 ヒマラヤのふもとの山岳地帯で、農作物の収穫がとぼしく、産業もなく、 多民族で何度もの内乱を経験してやっと王国という形を作ったブータン。 経済発展より人々の幸福を重視する政策は、 国をまとめる上ではこれしかなかったのかもしれません。 しかし5年後の調査では5割を下回るほど激減。 これは「足るを知る」「何があっても、何もなくても幸せ」だったのが、 インターネットの急速な発達で購買欲が刺激されたため。 ある程度の経済発展はやり必要なのかもしれません。

12月19日 26聖人殉教の日
慶長元年(1596年)本日、長崎で26人のカトリック信徒が処刑され、 日本で実質的にキリスト教の迫害がはじまった日。 彼らは殉教ということでローマカトリック教会により聖人の列に加えられ、 「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。 子供を含む日本人20名、スペイン人など外国人6名、すべて男性。 戦国時代、信長は仏教の勢力を削ぐためにキリスト教を利用、 また多くの大名も、宣教師や商人たちのもたらす鉄砲など、 武力の拡大を求めてキリスト教を保護していった。 が、キリスト教は予想以上に急速に普及、 危機感を持った後継者の秀吉は禁令に転じ、宣教師を追放、 信者を捕え、処刑していった。 江戸幕府後はカトリック国のポルトガルと断交、 布教はせずに交易だけしたいと言うプロテスタント国のオランダとだけ 交流するようになった。 そして島原の乱を経て、キリスト教徒は地下に潜伏するようになった。 開国後、外国のキリスト教宣教師が入ってきた時、 長崎で隠れキリシタンを発見し、大いに驚いた。 彼らはもう大丈夫だろうと明らかにしたものだが、 実はまだ禁制中で即刻逮捕され流刑にされ、その数3000人以上。 この処遇に欧米諸国が猛烈な抗議をし、政府は方針を一転、 明治6年(1873)キリスト教を300年振りに解禁した。 さてこの時明治政府は、この際日本も欧米にならって キリスト教を国教にしようという話にまでなったそうです。 結局神道派が勝利したが、もし実現していたら、 天皇の即位の礼を枢機卿が主宰するようなことになっていたかも。 しかしあれだけ弾圧しておいて、いきなり国教ですか?! まったく我が国の政治家のポリシーの無さはいったい何なんでしょうね。 さてこの26聖人、カトリック教会では殉教者の遺骸を尊ぶ伝統があったため 多数の手で分けられ、世界各地に送られ崇敬を受けたそうです。

12月20日 鰤(ブリ)の日
12月(師走)は「鰤」が魚篇に師と書くことから。 20日は「ぶ(2)り(0)」の語呂合せ。 ブリは出世魚と呼ばれ、成長するまでに名前が変わる。 地方によって呼び名が変わり、関東「ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ」、 関西「ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ」、 九州「ワカナゴ→ヤズ→コブリ→ブリ」 ブリの語源には諸説ありますが、最終的な形態が年を経た状態と言うことで、 「経る(ふる)」が転じた形で「ブリ」になった、 という説が一番真っ当な気がします。 鰤は鮭と同様、日本の文化に深く根ざしています。 新潟県の糸魚川と静岡県の天竜川を線で結び、 北側は「鮭」、南側は「鰤」の文化であると言われており、 お正月は、北では鮭料理、南では鰤料理で迎えます。 私の出身地博多でも、雑煮には欠かせません。 今が旬のブリ、脂身が多いと敬遠する方もいるかもしれませんが、 さっぱり美味しい「ブリ茶漬け」をご紹介しましょう。 ブリのトロの部分(腹側)で薄切りの刺身を作ります。 お刺身の残りを薄く切ってもOK。 これを、醤油・酒・生姜を煮立てて冷ましたタレに漬け込み、 ご飯の上にたっぷりとのせ、わさびを添え、お茶を注ぎお茶漬けにします。 ホームパーティーの最後の〆にいかがでしょうか。

12月21日 回文(かいぶん)の日
「1221」が回文のようになっていることから。 回文とは、始めから読んでも終わりから読んでも意味が通じる文のこと。 たとえば「竹藪焼けた」(たけやぶやけた) 「私負けましたわ」(わたしまけましたわ)などは昔から知られているが、 最近は思わず笑ってしまうような面白いものもたくさんあります。 「世の中ね、顔かお金かなのよ」 「時計は叫ぶ、今朝は行けと」 「ロリコン外科医、いい加減懲りろ」 「セクハラは癖」 「わしの股の玉のシワ」 きれいなところでは 「雪の日の 白くて黒し 野火の消ゆ」 思わずわが身を振り返る 「やる気を欠いて脳の機能の低下起きるや」 英語でもあります。 palindrome というそうで、 Nurses run.(看護婦たちが走る。) No lemons no melon.(レモンもなければメロンもない。) いつでもどこでもできる楽しい言葉遊び、 みなさまも一つ作ってみてはいかがでしょうか。

12月22日 改正民法公布記念日
1947(昭和22)年、「民法改正法」が公布。 家父長制の家族制度が廃止され戸籍が夫婦単位となった。 毎月22日は夫婦の日でもあります。 22の語呂合わせですが、 こういう起源もあるんですね。 いい夫婦の日(11月22日)の翌月、 なーんだ、いつ(12月、い、ツー)もの夫婦だった、 てことでしょうか。


11月23日 天皇誕生日 国民の祝日に関する法律によれば、「天皇の誕生日を祝う」ことを趣旨、 つまり今の天皇の誕生日を祝う日である。 宮中では、祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀、一般参賀が行なわれ、 伊勢神宮などの神社では天長祭が、海外の日本大使館等の在外公館では ナショナルデーとしてレセプションが行なわれる。 諸外国の国王誕生日と同様、在位中の天皇の誕生日に合わせて移動する。 天皇の誕生日はもともと天長節といい、明治時代は11月3日でした。 大正時代は8月31日という盛夏のため宮中行事が行えず10月31日となったが、 明治天皇の業績をたたえる意味で旧天長節を祝いたいという声が高く、 11月3日を明治節という祝日としました。 昭和になって大正天皇の誕生日はなくなりましたが、 GWのスタート、昭和天皇の誕生日は「昭和の日」として残りましたね。 今の天皇誕生日も、クリスマスを公式な祝日にできないかわりに、 別名で残るんじゃないかと私は思いますがいかがでしょう。 ところで11月3日(旧明治節)、戦後は「文化の日」になりました。 これは昭和21年この日に日本国憲法が公布されたことに由来、ということで 明治節とは関係ないように思われますが、実は当時の首相吉田茂が、 憲法制定のスケジュールを、意図的に合わせたらしいです。

12月24日 クリスマスイブ
クリスマスというのはキリストの誕生日で、イブというのはその前夜祭、 と思っていませんでしたか?(実は私はそう思っていた) 実はクリスマスはキリストの降誕を祝う日であって、誕生日ではない。 (誕生日がいつかはどこにも記述はない) また、協会の暦では一日の区切りは日没からなので、 24日の日没から25日の日没までが「クリスマス」、 イブは夜という意味なのでクリスマスの夜、というわけ。 だから前夜祭なら23日の夜であり、また25日の夜はクリスマスではない。 クリスマスは「Christmas(キリスト)の mass(ミサ)」という合成語で、 Xmasと略されるXは、ギリシア後から来ています。 キリスト教のみなさんはイブには家族と過ごし、 25日朝協会に行くというのが一般的のようですが、 日本では恋人や友だちと過ごすイベントと化しています。 今夜はみなさまどういうイブを過ごされますでしょうか。 なお、今日が休日なのはクリスマスイブだからではなく、 23日の天皇誕生日の振替休日だということはどれだけ認知されているのかなあ。

12月26日 毛沢東の誕生日
1893年、湖南省(昔の楚の国)の農家の三男として生まれ、 子供の頃は英雄の伝記に夢中になっていた。 当時の中国はアヘン戦争、日清戦争などで弱体化、 18歳の時に起きた辛亥革命で革命運動に参加、 28歳で、中国共産党の創立大会に参加して、農民運動講習所所長となり、 この頃から「農村で都市を包囲する」といういわゆる毛沢東思想が確立、 共産党内で着々と勢力を広げていく。 日中戦争時代、日本軍と主に戦ったのは中華民国を率いる国民党で、 共産党はゲリラ戦などに留めて戦力を温存、戦争終結後一気に攻勢に出て、 1949年共産党の一党独裁による中華人民共和国を誕生させた。 党の主席となった毛沢東は、1958年「大躍進政策」を実施したが、 過酷なノルマ、ずさんな管理、無理な増産などで却って生産力が低下、 数年で2000〜5000万人の餓死者を出す大失敗に終わった。 この責任をとって自己批判し、国家主席の地位を劉少奇に譲ったが、 毛沢東語録の出版、紅衛兵の組織などで大衆への神格化を図り 権力奪回の機会を窺がっていた。 1966年政権奪還のため四人組をあやつって「文化大革命」を引き起こす。 思想、文化などの改革運動という名目だったが、 紅衛兵を扇動し、現権力者の他、多くの知識人、文化人を弾圧、殺害、 多くの人材や文化財などが甚大な被害を受けた。 76年死去により終結するまで、犠牲者は1000万人以上と言われている。 1972年には訪中したアメリカ大統領ニクソンと会談、 同年田中角栄も訪中して首脳会談を行い、日中の国交を樹立した。 (これに伴い日本は、もうひとつの中国である台湾との国交を断絶) 晩年は筋萎縮性側索硬化症、肺気腫、心臓病などを患い1976年死去した。 82歳。 生涯4度の結婚をし、10人の子供がいるが、 後を継ぐというような人物はいない。 毛沢東の評価については毀誉褒貶があるものの、 尊厳を冒すような行為は許されないというのが、 現在の中国国内における一般認識であるらしいです。 改革開放を推し進め、中国を現在のような経済大国に押し上げたのは、 党内抗争による3度の失脚を乗り越えた実務派のケ小平でした。

12月27日 浅草仲見世記念日
1885(明治18)年、東京・浅草の仲見世が新装開業した。 東京で最も古い寺である浅草寺の起源は、何と推古天皇の時代、7世紀前半、 漁師が隅田川から拾い上げた観音様を、堂を設けて安置したのが始まりと言われています。 徳川家康が秀吉から関八州を与えられ江戸に入ると、浅草寺を江戸城鎮護の祈願寺と定め、 三代将軍家光は本堂が焼亡した際、再建、復興し、五重搭、本堂・仁王門を建立しました。 江戸の人口が増え、参拝客で一層賑わう浅草寺の境内の掃除は近所の住民の仕事でしたが、 その代り参道に出店営業の許可が与えられました。 これが仲見世の始まりで、時代は江戸中期、 次第に店も増え日本でも一番形の整った門前町へ発展していきました。 明治維新により政策変更で、仲見世の一切の特権が廃止されましたが、 その後煉瓦造りの洋風豊かな新店舗が完成、近代仲見世が誕生しました。 歴史の古さでは負けますが、楽しさでは巣鴨地蔵通りも負けませんよ。 1月4日は初詣にぜひ巣鴨もいらしてください。 四の日昼席でお待ちしています。 浅草雷門からバスで1本、乗り換えなしです。(草63番)

12月28日 御用納め
日本の官公庁では行政機関の休日に関する法律により、 12月29日から1月3日までを休日として定めており、 12月28日を御用納めとして、その年の最後の業務日としている。 今年は25日が御用納めだった会社も多いのでは? 飲食店などのサービス業は年末年始休無休の所も多いと思いますが、 なにはともあれ、仕事があるだけで良かったと思える昨今、 来年はもっといい年になるといいですね。 みんながジャズライブや落語会に足を運びたくなるような、 ゆとりある生活になって欲しいものです。 スタジオフォーでは31日の「四丁目落語会」が御用納め、 年始は4日の「四の日初席」です。 落語で終わって、また落語で始まる、 来年もスタジオフォーをよろしくお願いします。 それではみなさま、よいお年を。

12月29日 シャンソンの日
1990(平成2)年、銀座のシャンソン喫茶の老舗「銀巴里」が閉店した。 銀巴里は美和明宏、岸洋子、金子由香利、野坂昭如などが出演し、 シャンソン歌手の登竜門として知られ、文化の発祥地でもあった。 営業40年、惜しまれながらのフィナーレ、だそうですが、 なぜ閉店の日が「シャンソンの日」になったのかはナゾ。 ふつう、開店の日とかにするでしょーが。 なんだか命日みたいな気がするんですけど。 でもロックの日(6/9)やクラッシックの日(9/4)ジャズの日(Jan/22) みたいな語呂合わせよりも真っ当という気もします。

12月30日 地下鉄記念日
1927(昭和2)年のこの日、上野〜浅草に日本初の地下鉄が開通した。 日本の地下鉄は、たった一人の尽力により始まった。 建設者、早川徳次は明治14年山梨県の生れ。、 大学卒業後、鉄道院に入省、郷里の先輩で鉄道王、根津嘉一郎に見出される。 根津の元、経営が低迷していた路線を次々立て直して期待に応えたことから、 大正3年(1914年)に国際事情視察の為、欧州を訪問することに。 そこでロンドンにおいて地下鉄が発達しているのに衝撃を受け、 これからは東京にも地下鉄が必要だと考えるようになった。 当初公共交通として鉄道省や自治体に建設を働きかけたものの全く理解されず、 自力で建設を決意、あちこちに働きかけたが、やはり理解は得られなかった。 しかし地道な地質調査や、豆を使った交通量調査を行い、 事業として十分成り立つことなどを説得材料に、少しずつ賛同者を募り 5年後、遂に独力で地下鉄営業免許を取得する。 本来は新橋から浅草の予定だったが、関東大震災後などで資金調達が困難になり、 高収益が見込める浅草から上野までの建設を先行させたものとなった。 当時「東洋唯一の地下鉄道」というキャッチコピーが使われ、 当初は物珍からわずか5分の区間に乗るため2時間待ちの行列ができたという。 資金繰りは苦しくとも、安全には最大限の配慮をし、 また、駅ビルを建てたり、デパートを手を組むなどの経営手腕により、 営業は順調となって7年後に全線開通した。
さてその後の早川さんはどうなったかというと、 昭和15年、東急の総帥五島慶太氏との覇権争いのような状態となり敗北、 地下鉄事業から手を引かされて、郷里山梨へ帰りました。 生家に青年道場を作ろうと建設も進んでいたが、 完成を見ることなく61歳で亡くなりました。 娘に「将来東京中がクモの巣のように地下鉄で張り巡らされるだろう」と 言っていたそうで、本当にその通りになりましたね。 夢の中で地下鉄を乗り継いでいたのでしょうか、早川徳次(のりつぐ)さん。 日比谷線銀座駅中2階に胸像があるそうです。


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