今日は何の日 11月

●メルマガのオマケでその日の記念日記事を書いているのですが、その部分だけをまとめてみました。
気楽な読み物として楽しんでいただければ幸いです。


11月1日 灯台記念日
海上保安庁が1949(昭和24)年に制定。 1869(明治元)年、横須賀市に日本初の洋式灯台である観音埼灯台が起工された。 江戸幕府は、1866年(慶応2)に米、英、仏、蘭と「改税条約」を締結し、 西洋灯台の建設を約束、緊急性の順位で、観音埼、野島埼、城ヶ島、品川の 4つの灯台建設を優先的に着工することを決定した。 そしてフランス人技師F・L・ヴェルニーに灯台建設を依頼したが、 その直後に起きた維新の混乱で着工は延期、 2年後にやっと観音埼灯台が起工、翌年の2月に初点灯した。
さて、それまで日本にはどうだったのでしょうか。 記録に残る最古のものは839年仁明天皇の勅命により、 遣唐使の航路安全のために、舟の帰り道にあたる九州地方の岬や島で 終夜かがり火をたいたのが日本での灯台の始めだそうです。 建造物としての灯台の始まりは鎌倉時代に作られた大阪住吉神社の高灯籠で、 菜種油を燃やして灯りにしていたそうですが、 木造なので、維持管理が大変だったと思います。 洋式になって丈夫でより明るくなったことでしょう。 現在、最も光が遠くまで届く灯台は兵庫県の余部埼灯台でその距離約73km、 また、光を出すだけでなく、音や電波で船の安全を守る灯台もり、 総数は何と5,279基です。 なお、観音埼灯台は、灯台職員とその家族の人生を描いた映画、 「喜びも悲しみも幾年月」の、そのスタートの灯台でもあります。 記念日ということで、各地の灯台では普段入れない内部が公開されたり、 物産展などのイベントがあるそうです。

11月2日 阪神タイガース記念日
タイガース後援会等が制定。 1985(昭和60)年、日本シリーズで阪神タイガースが西武ライオンズを破り、 38年ぶり、2リーグ化後初の日本一になった。
阪神、優勝、と言えば思いだすのが「カーネル・サンダースの呪い」。 1985年、21年ぶりのリーグ優勝に歓喜した阪神ファンが、 ケンタッキーのカーネル・サンダース像を川に投げこんだ因果で、 翌年以降の成績が低迷し、優勝から遠ざかったというもの。 何と今年の3月に、24年ぶりに発見されましたが、 はたして呪いは解けたのか、来年のゲームの行方が気になります。

11月3日 文化の日
1946(昭和21)年の今日、日本国憲法が公布。 その二年後、自由と平和を愛し、文化をすすめる、 ということで、国民の祝日に定められた。 (5月3日の憲法記念日は、憲法が施行された日) 戦前は、明治天皇の誕生日であることから、 「明治節」という祝日だったそう。 昭和天皇の誕生日は、昭和の日(天皇誕生日→みどりの日→) 今上天皇は今の天皇誕生日(12月23日)、 大正天皇のないのが不公平のような、 (夏休み最後の8月31日という日取りが悪いのか) 天皇が交代するたび祝日を増やしていくと そのうち日本は毎日祝日になるんじゃないかとか、 凡人としてはあれこれつまんないことを考えてしまいます。

11月4日 平民宰相、原敬(はらたかし)暗殺される
原敬は、江戸時代末期の1856年南部藩(盛岡市)の家老の家に生まれる。 12歳の時戊申戦争に敗れて藩が没落、平民として学問で身を立てるため、 現・東大法学部に優秀な成績で入学したが、 薩摩藩出身の学長と対立して退学させられる。 その後、郵便報知新聞に入社、語学力を認められ外務省の翻訳係に。 しかし行く先々で薩長の門閥の壁が立ちはだかった。 明治25年(原36歳)、時の外務大臣、陸奥宗光に認められ外務次官に就任し、 外務省の職員採用を、縁故や門閥でなく試験によって行う画期的な制度を導入。 門閥や既得権だらけの世の中を変えるには、政治を変えるしかないと思い、 明治35年、故郷盛岡から衆議院議員に立候補し当選。 内務大臣時代には都道府県知事を、藩閥から試験による採用へ変えていった。 大正7年(原62歳)商社の買い占めによる米騒動が勃発、 寺内内閣が総辞職し、国民の人気の高い原敬が押されて総理大臣に就任した。 当時日本は、日清、日露戦争に勝利し、帝国主義に突き進んでいたころだったが 原は、軍事力より経済力と考え、軍縮、教育改革を実行していった。 早稲田や慶応など私立の教育機関にも大学の地位を与えるなど、 実力ある人材を育てることにも力を入れたが、 自身の基盤の政党ではスキャンダルが続出していく。 大正10年、原の政治は政商や財閥中心と考えた男中岡艮一は暗殺を決意、 東京駅の乗車口で原を刺殺した。 軍と対立していた原は首相就任後から暗殺を意識しており、遺書を残していた。 その中には死後の叙勲を拒否、あくまで平民宰相として全うするという一文が。 暗殺者中岡は無期懲役の判決を受けたが、3度の恩赦により13年後出獄、 その後神戸でムスリムになったらしい。
薩長や爵位を持つ人だけでなされていた明治の政界、 そこに初めて「平民」として登場したのが原敬でした。 首相としての演説で自分を私と言ったった最初の人物で(それまでは本官など) 国民の人気は高かったものの、軍部とは対立し苦労は絶えなかったようです。 暗殺犯中岡はなんとスタジオ地元の大塚駅職員! 右翼だったという話もあり、異例に早い出獄など何やらウラがありそうな気も。 その後日本は、軍備が着々と増強され太平洋戦争へと向っていったのでした。

11月5日 津波防災の日
2011年6月制定 嘉永7年(1854年)の本日、安政南海地震が発生し東南海に大津波が襲来、 和歌山の事業家、濱口梧陵は稲藁に火をつけて津波の襲来を知らせ避難させて、 多くの村民の命を救い、生き神様と慕われた。 この史実をもとに明治29年、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、 英語で「A Living God 」を執筆、これに感銘を受けた小学校教員中井常蔵は、 児童向けに翻訳し「稲むらの火」として教科書に掲載された。 物語は史実と多少違うが、情報の早さや的確な避難の大切さが謳われている。 梧陵は醤油醸造業(現在のヤマサ醤油)当主で、すごいのは実はその後。 4665両という莫大な私財を投し、破損した橋の修理や、 当時では最大級の堤防・広村堤防を約4年かけて修造した。 この大土木工事は、荒廃した被災地からの住民離散を防ぎ、 将来再び襲来するであろう津波に備えての防災事業で、 88年後の津波襲来の際、多くの命を救った。 出身地和歌山県広川町には「稲むらの火の館」があり、 記念館の他、津波防災教育センターが併設されている。
なかなか復興が先へ進まない東北、政治家は梧陵を見習っていただきたい。 2005年小泉首相はシンガポールの首相に津波対策について梧陵のことを聞かれ、 知らなかったので、文部科学省に問い合わせたが誰も知らなかったそうな。 政治家や官僚がもっと過去から学んでいれば、 震災、津波の被害ももっと軽減できたのではと思いますよ。 少なくとも福島に原発は作らなかったんじゃないかなあ。 なお、当初は3月11日を記念日とする案だったが、震災が起きて間もなく、 人々の心情を考慮して違う日附にされましたが、 被災地ではかえって311の意識が強く、本日の行事開催には消極的だそうです。 そういえば、ニュースでもあまり見かけません。

11月8日 レントゲンがX線を発見した日 
1895年ドイツの物理学者 レントゲンは、真空管に高電圧を掛けている時に、 厚紙で覆っているにも関わらず、蛍光紙が明るく光ることに気づいた。 なぞの光は1000ページもの厚さの本を透過したことから、 彼はこの正体不明の光にX線という名前を付けた。 X線によって最初に撮影されたのはレントゲンの奥さんの手の骨格で、 この写真は現在も保管されている。 後の研究で、X線は波長がたいへん短い電磁波であることが判る。 この電磁波は体を通り抜ける時、部位や状態によって抜け方が違うことから、 体の内部の撮影に使われるようになった。
この現象は実はレントゲン以前にクルックスという学者も気づいていました。 しかし彼は蛍光紙の品質が悪いのだと思って、 製造メーカーに文句を言ったそうです。 大発見というのは、案外日常のそばにあるのかも知れませんね。

11月9日 ベルリンの壁が崩壊した日
1989年、冷戦の象徴、東西ベルリンを隔てていた壁が崩壊し、 東西ドイツ統合の第一歩となった。 正確に言うと「東西ベルリンの通行が自由化され、 結果的に西ベルリンを囲んでいた壁が撤去された。」ということ。 ドイツは第二次大戦後、米ソの間で東西に分割統治され、 東ドイツの中央に位置していた首都ベルリン市も東西に分割された。 つまり、東ドイツの真ん中に離れ小島のように資本主義の街が存在したわけ。 当初行き来が自由だったが、東ドイツの人々の西側への亡命が相次いだため、 1961年東ドイツ政府は西ベルリンを取り囲む形で壁を建設、 道路を封鎖して交通を遮断した。 その後東欧諸国にも民主化の波がおこったが、 そのたびソ連の軍事介入があり、自由化の道のりは遠くなっていく。 しかしソ連もゴルバチョフの登場で民主化が進み、 東欧諸国に軍事介入しない方針を打ち出したため、 ポーランドで民主化が成功(「連帯」の勝利)、 この流れの中で、東ドイツ市民は西への亡命のための通行自由化を要求。 政府はそれに屈しきれず、「一部自由化」で収めようとしたが、 間違って「完全自由化」と発表され、壁の国境ゲートに集まった 数万人規模の市民が大挙して国境を通過し、一部の人々は壁を壊し始めた。 それから1年もたたないうち(翌年の10月3日)東西ドイツが統合される。 (統一式典ではベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」が演奏された。)
ベルリンの壁崩壊は、冷戦終結の象徴であり、 これからの世界は平和で素晴らしいものになる、 ような気が、このころは誰もしていたものですが。 あれからちょうど20年、 ドイツでは旧東西の格差がひどく、 壁の復活を望む市民が7人に1人はいるそうな。 世界はより良くなっていってるのでしょうか。。

11月10日 エレベーターの日
1890(明治23)年、東京・浅草の「凌雲閣」で 日本初の電動式エレベーターが一般公開された。 凌雲閣 (りょううんかく)は、明治期から大正末期まで 東京・浅草にあった12階建てのビル。 名称は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味。 エレベーターは8階まで。 しかし開業当日より故障が頻発し、翌年使用中止に。 再開されたのはその後20年以上たってから。 そんなエレベーターを記念日にしていいのかなと思ったり。 ちなみにエスカレーターの日は3月8日だそうです。

11月12日 洋服記念日 
東京都洋服商工協同組合が昭和4年に制定 1872(明治5)年本日、太政官布告により洋装の礼服が義務づけられた。 幕末、洋装は一部の蘭学生、医師などで取り入れられていたが、 1853年のペリー来航以来、欧米人の来航が頻繁になり、 武士、町人など新思想の人々に部分的に取り入れられるようになった。 1855年、勝海舟ら170名の海軍伝習派遣部隊たちの制服として、 オランダから洋服が輸入され、広まっていく。 その後尊攘派と開国派の対立が深まるにつれ、洋装の人が暗殺の対象となり、 また、幕府による禁止令も発令されたため、敬遠される時期が続く。 しかし軍事訓練の必要から禁止令を解除、武士(軍人)の洋装化が始まる。 第一次長州征伐の際には本格的に洋装の軍服となったが、 これは足袋屋や仕立屋の職人などの手による国産のものだった。 維新後の太政官布告は、「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」というもので、 軍人や警官に続き文官の礼服にも洋式が義務づけられたもの。 ただし、この時は男性だけであり女官にに洋服が採用されたのは15年後。 もっとも庶民層は戦前まで和服を着用し、サラリーマン層でも、 自宅では和服を着用することが多かったが、戦後の物不足の折、 アメリカの援助物資の洋服が流入したことから洋装化が一気に進んだ。
日本の洋服店第一号は、明治2年神戸の外国人居留地に開業した英国人カペル氏。 明治16年には、日本人初の注文服店「柴田音吉洋服店」が元町に開業し、 伊藤博文や昭和天皇の洋服も仕立てたそうです。 戦争や震災を乗り越え現在4代目、 オーダーメイドのスーツ22万円から、いかがでしょうか。

1月14日 世界糖尿病デー(World Diabetes Day)
糖尿病の全世界的脅威を認知するための国際デー。 インスリンを発見したカナダのバンティング医師の誕生日。 国連や空を表すブルーと、団結を表す輪を使用したシンボルマークを採用し、 全世界での糖尿病抑制に向けたキャンペーンを推進しています。 本日はあちこちでブルーの輪を見かけるかもしれません。 糖尿病発見のきっかけは1674年、イギリスの医学者トーマス・ウィリスが、 多尿症の研究中、尿に含まれる成分を何としても知りたいと、 患者の尿を舐めたら甘かったことから。 しかし研究のために患者の尿を舐めるというのがスゴイですね。 糖尿病とは血糖値(血液中のブドウ糖濃度)が病的に高い状態をさす病名で、 自己免疫が原因のT型と、生活習慣や肥満が原因のU型があり、 予防に努めなくてはいけないのはU型の方。 最初は無症状ですが、著しいのどの渇きや大量の排尿、 体中の微小血管が徐々に破壊され、目や腎臓などに障害を及ぼし、 なんと世界で10秒に1人が死に至っているとか。 現在の患者数は2億4600万人、15年後には3億8000万になるそうです。 日本では徳島県が死亡率18.6人(10万人当り、全国平均11.5人)で、 不名誉な全国ワースト1位、なんと14年連続だそうです。 しかしその分、研究は進んでおり、「糖尿病における世界の先端地域にし、 患者や医療者にも『徳島に行ってみたい』と思わせるようにしたい。 ピンチはマイナスではなく、チャンスに変えることができる」 なーるほど、ものは考えよう、がんばってください。 歴史では藤原道長、道長の一族、織田信長、J.S.バッハ等が 記録から糖尿病だったのではないかといわれています。 また明治天皇が、糖尿病の悪化と併発した尿毒症で崩御されました。 予防にはまず健全な食生活と継続的な運動、まさに生活習慣ですね。

11月15日 七五三
髪を伸ばし始める(3歳男女)、初めて袴をつける(5歳男)、大人の装いをする(7歳女) という節目で、11月はその年の実りを神に感謝する月であり、 旧暦15日は満月で、「何事をするにも吉」とされる日だったから。 大昔からの風習かと思いきや、起源があって、天和元年(1681年)11月15日、 館林城主、徳川徳松の健康を祈って始まったとか。 また、近代以前は疫病や栄養失調による乳幼児死亡率が高く、 七歳くらいまではまだ人としての生命が定まらない存在とされ、 「いつでも神様の元へ帰りうる」魂と考えられていたので、 一定の成長が確認できるまでは人別帳にも記載せずに留め置かれ、 七歳になって初めて正式に地域コミュニティへ迎え入れられたことから 七五三を祝う風習が広まったようです。 子供は元気で無事育つだけでもありがたいということですね。

11月16日 国際寛容デー
国際デーの一つで、1995(平成7)年のこの日、 「寛容原則宣言」と「国連寛容年のためのフォローアップ計画」が採択された。 文化や人種の多様性を認めるためには寛容の精神が必要であり、 それが世界の平和と安定につながる、ということなんですね。 ところで国際デーとは国際機関によって定められた記念日で、 毎年定められた日に、特定の事項に対して重点的問題解決を呼びかけ、 世界各地で記念行事が行われています。 有名なものは5月1日のメーデー、12月1日の世界エイズデー等があるが、 11月1日の菜食主義者の日、11月19日の世界トイレの日などは、 わざわざ国際機関で決めるようなものかと思ってしまいます。 何せ数えてみると、年間90もある国際デー。 4日に1度は国際的な問題を考えなければならないって、結構大変かも。。

11月17日 源氏物語が生まれた日
1008年、源氏物語が一条天皇に献上された。 一般的には紫式部日記に源氏の記述が初めて出てきた、 11月1日を誕生の日とするようですが、 千年前の本日、歴史が動いた、とNHKの松平アナが言ってました。 まあ、どちらにしろ千年ですよ。 最近、昔の名作(外国のとか)を読み直したりしてるんですが、 日本人って、すばらしい民族だなあとつくづく思います。 海に囲まれて国際交流もなく、というのは否定的要素かもしれないが、 だからこそ独自に素晴らしい文化を作っていけたのかも、と思う。 今日、バンド仲間の飲み会だったんですが、 自分の国に誇りを持とう、ということで一杯論議しました。 みんな、ジャズやってますが、日本が好きです。 事実を書き連ねた歴史書に人の真実はない。 それは物語の中にこそある。 (紫式部)

11月18日 ミッキーマウスの誕生日
1928(昭和3)年本日、ミッキーマウスが登場する短編アニメーション、 『蒸気船ウィリー』が初めて公開された。 実はミッキーにとってこれは3作目、前の2作はサイレントで全くヒットせず、 この作品でやっとヒット、シリーズ化され一躍人気キャラクターとなった。 当時はウォルト.ディズニー自身が声優を務めていた。 ミッキーのデザインは、円滑にかつ素早く作画する目的で、 円定規と楕円定規で簡単に描けるよう考案されたと言われる。 ディズニーはアニメーターではなくプロデューサーであり、 彼自身が飼いならしたネズミをよく研究し考案した、というのはウソらしい。 本当の作者はアニメーター、アブ・アイワークスで、 その後ミッキーを奪ったと、しだいにディズニーを憎むようになり決別した。 初期のミッキーは、今とはだいぶ顔が違い、しかも 酒は飲む、煙草は吸う、動物はいじめる等かなり粗野なネズミだったが アニメの大ヒットで様々規制され、今ではすっかり品行方正になってしまった。
さて、本当の作者が誰であれ、ミッキーの著作権はウォルト.ディズニーにあり、 彼は1966年に亡くなっています。 これはどういうことかというと、著作権が保持されるのは死後50年までなので、 あと3年でミッキーの著作権が切れてしまうということ。 (アメリカでは1978年以降の著作物は70年、日本は50年) そこでディズニー社は今、著作権を守ろうと各方面に運動しているらしい。 しかし、たいがい儲けたんだからそろそろもういいんでないか? そのとばっちりで楽曲などの使用ができにくくなるのは、 演奏家としてはいかがなものかと憂慮しております。  
 
11月19日  鉄道電化の日 
鉄道電化協会が1964(昭和39)年に制定 1956(昭和31)年の本日、東海道本線全線の電化が完成した。 電車は蒸気機関に比べ噴煙が無い、ボイラーを熱くする等の発進準備が不要、 方向転換が容易(機関車の付け直し不要)などの利点があったが、 戦前の電力は工場優先だったため、一般鉄道での電化工事は抑えられ、 急勾配区間や、火事時危険な長いトンネル区間を優先して電化された。 その後の鉄道電化はあちこちでバラバラに進行したため、 直流と交流の区間が複雑に入り組んでしまい、 切替の駅では構内で電気系統や機関車の交換など実に大変な状態だった。 例えば東海道本線は直流なのに東北本線は交流で、 切替駅である黒磯には、全ての列車が一旦停車していた。 現在では交直両用機関車を使用し、駅構内を走って通過しながら、 切り替えることが可能になっている。
電化の初期、鉄道技監の島安次郎は輸送力増強のため広軌幹線鉄道建設を主張、 しかし当時政界は利権重視の地方ローカル線延伸優先で、これを閣議決定、 反対した島は国鉄を退職しました。 目先の利権に振り回されるのは今に始まったことではないようです。 島はこの他、先頭車両の他各車両に電動部を設置し、 大きな運搬能力と時速250kmの超高速を得るという 弾丸列車計画を提案していましたが、当然当時は理解が得られませんでした。 戦後これを新幹線として完成させたのは、長男の秀雄。 (安次郎が退職後東大で教鞭をとっていた時の生徒でもある) 秀雄はその後、宇宙開発事業団の初代理事長に就任しましたが、 日本の衛星にひまわり、きく、ゆりなど植物名が付けられているのは 秀雄の園芸趣味からきているそうです。

11月21日 インターネット記念日
1969(昭和44)年本日、インターネットの元型であるARPAネットの公開実験が、 カルフォルニア大学ロサンゼルス校、サンタバーバラ校、 スタンフォード研究所、ユタ大学の4か所を結んで開始された。 1957年ソ連が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功し、 戦争になった場合、宇宙から攻撃を受ける可能性が出てきたアメリカは 慌てて宇宙開発と共に、対宇宙戦争防衛策を練ることとなった。 その通信防衛の一つが「中心を持たないシステムの構築」。 どこかにホストがあってそこで軍事情報が集中管理されていたら 衛星軌道から狙い撃ちされた場合、防衛機能は麻痺してしまう、 しかし中心のない分散型のシステムであれば、危険は回避、分散できる、 こういう思想のもとに生まれたのがARPAネットで、 前出の4ヶ所のコンピュータがパケット通信回線により相互接続された。 そして1973年には同盟国のイギリス・ノルウェーとも接続され、 ヨーロッパでも立ち上がり、1983年以降はそれらが相互接続されるようになり、 当初の軍事利用から科学技術の研究、一般の商用利用へと発展した。
日本では1984年に村井純氏(当時東工大助手、後慶応大教授)が中心になって 日本独自のシステムで東工大・慶応大・東大の相互接続が行われ、 参加大学は増えていき、アメリカのシステムともとも接続されました。 言語の問題、システムの違い、通信設備を持つ電電公社との交渉など、 さまざまな問題が浮上したものの、それを精力的に解決していきました。 村井氏はハワイからルーターを持ち込む際、税関で揉めたのだそうですが 「これが無ければ日本の科学技術は遅れる」と無理矢理通過させたそうで、 実際それがなかったら日本のネット環境は大幅に遅れていたでしょう。 ビル・ゲイツだけじゃない、 日本にも新しい道を切り開いた偉大な先人がいたわけですね。

11月22日 いい夫婦の日

余暇開発センターが1988(昭和63)年に制定。 語呂合せと、11月の「ゆとり創造月間」の期間中であることから。 余暇開発なんですね、発想の原点は。 夫婦仲良くというより、余暇を上手く使ってくれよ、ということでしょうか。 レジャーの調査研究や提言をする余暇開発士という資格もあるそうです。 毎年理想の夫婦を選んで発表していますが、今年は何と野村克也、沙知代夫妻。 インタビューでは、 Q 最近の夫婦のエピソードは? A 毎日がエピソードです。 Q 夫婦円満の秘訣は? A お互いに見て見ぬふり。 Q 生まれ変わったらお二人はまた結婚しますか。 A もう結構。あの世で会っても顔を合わせたくない。 これが理想の夫婦? でも案外そんなものかもしれませんね。

11月23日 私の誕生日
私って誰? このブログを毎週出し続けてもう2年、 スタジオフォーのオーナー(正確に言えばオーナーの妻) 実質総合プロデューサーの西島由紀子です。1955年生まれ、昭和だと30年です。 20年台じゃないんだゼイ、と若ぶっていたが、 いつのまにか昭和も終ってしまいました。。。 こんな個人的なことですみません。 一般的には「勤労感謝の日」ですね。 私、生まれてこのかた、誕生日はいつも休日でした。 そのせいで、おめでたい人間になったのかもしれません。 昔1月15日とか、10月10日とかに生まれた人はどうなんでしょう。 誕生日が休日だったのに、いつのまにか平日になってしまって 人間性が変わった人もいるかも。 私、勤労感謝の日がハッピーマンデーになるのは絶対に許せません!! (単なる個人的見解です)

11月24日 オペラ記念日
1894(明治27)年、東京音楽学校(現、東京芸術大学)奏楽堂で、 日本で初めてのオペラが上演された。 演目はグノー作曲の『ファウスト』第1幕、 出演はオーストリア大使館職員、 指揮はドイツ海軍軍楽隊長で『君が代』を編曲したフランツ・エッケルト。 日清戦争での傷病兵のための慈善興業で、合唱は音楽学校の生徒が務めた。
オペラというのはミュージカルと違って、 全編歌なんですね。 セリフが、とにかくみんな歌で表現されてて でも歌だけではなく芝居だから演技もしなきゃならない。 大変なものですよ。 さすが音楽の国オーストリア、 極東の大使館員みなオペラの心得があったのか、 たとえば昔の日本人は誰でも都都逸の一つや二つ歌えたとか、 そんなもんだったんでしょうか。 第九の初演も、捕虜収容所の囚人バンドだそうで、 欧米人はみなオペラが歌えてオケが弾けるのかと思ってしまします。

11月25日 憂国忌、三島由紀夫が割腹自殺をした日
1970年(S45年)作家の三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛で総監を監禁し、 バルコニーにて憲法改正のため自衛隊の決起を呼びかけた後割腹、 行動を共にした「楯の会」メンバー森田必勝が介錯した。 朝日新聞はその生首と胴体の生々しい写真を掲載、避難を浴びた。 命日には、彼の小説にちなみ「憂国忌」という追悼の会が開催されている。 三島由紀夫、本名平岡公威(きみたけ)は1925年(T14年)1月14日生れ。 エリート家庭の長男だが、祖母が過保護で母親と接触させず、 小柄で虚弱体質、外で遊ばせてもらえず、貴族趣味を押しつけられ、 その反動から、荒っぽい男らしいものに強い憧れをもつようになった。 (後の作品「仮面の告白」はこれらについての自伝的小説) しかし半面古典や辞書に親しみ、能や歌舞伎にも早くから接して、 学習院初等科に入学後、優れた俳句や詩を作って教師を驚かせた。 高等科を首席で卒業、進学した東京大学では父の意向で文学ではなく法学へ。 法学の厳格な論理性、法学理論の精緻な美しさに魅了され、 このことは後の創作に極めて有用となった。 卒業後、大蔵省に入省、仕事の傍ら精力的に執筆活動をしていたが、 半年後過労で退省、専業作家となり数々の作品を発表し人気を博した。 30過ぎてボディービルやスポーツで肉体改造、 自衛隊に入隊したり、民兵組織「楯の会」を興したりと右傾化していった。 そしてついに自衛隊本部に乗り込みクーデターを呼び掛けたが、 演説は警察のヘリやヤジや怒号ででほとんど聴きとれず、 賛同する自衛隊員はほとんどいなかった。
私が15歳の時の誕生日の2日後の事件でした。 新聞の生首写真は見ていませんが、とにかくすごい衝撃的で、 いったい何が起きたのか、全く理解できませんでした。 今でもよくわかりません。 ざっと書いてみましたが、これが正しい解釈なのかもわかりません。 単なるナルシストだったという説もありますが、 戦後急激に豊かになり、日本的な精神や美しさが失われていく中、 「戦争で死ねなかった者」としていたたまれなかったのかもしれません。 三島作品は海外でも評価が高く何度もノーベル賞候補になりましたが、 「文人ではなく武人として死にたい」という望み通りの死を演じきりました。

11月26日 風呂の日
日本浴用剤工業会が制定。「いい(11)ふろ(26)」の語呂合せ。 もともと風呂は蒸気で汚れを浮かせて洗い流す蒸し風呂のことで、 蒸気が満ちた狭い室(むろ)が転じて風呂という言葉になった。 お湯に浸かるスタイルは戸時代中期に確立されたもので、湯と呼ばれていたが、 だんだん蒸し風呂がなくなり混同されて使われるようになった 戦前まで一般家庭に風呂はなく、庶民は湯(銭湯)に行っていたが、 江戸時代には「平包み」という布を着替えの敷物や脱衣の包みにしていて、 この布をだんだん風呂敷と言うようになった。 一方、古来より天然の温泉を利用して治療や健康保持増進に役立てていたが、 温泉のない所では代わりに薬用植物利用する薬湯も盛んに行われた。 明治中期、漢方薬メーカー津村順天堂が初めて刻み生薬を用いた入浴剤を発売。 これは「中将湯」を精製する課程で、品質に不適合とされた原料を ある社員が自宅に持ち帰り風呂に用いたら、夏場は子供のあせもが消えるし、 冬場は温泉に浸かったように、身体がよく温まったということで、 評判を耳にした銭湯経営者から問い合わせが殺到したため開発。 これが入浴剤第一号で、その後研究、改良を重ね「バスクリン」となった。 津村順天堂は現在ツムラと社名を変更、順天堂大学とは何の関係もない。 なお湯の花(温泉の沈殿成分)を入浴剤とする方法は江戸時代より行われている。
端午の節句の菖蒲湯や、冬至の柚子湯など季節のごとに楽しむ日本の風呂、 この時期、ミカンやリンゴなどの皮を干して袋に入れて浮かべてもいいですね。 今回は風呂についてというより入浴剤について書いてみました。

11月28日 太平洋記念日
1520年の今日、ポルトガルの航海者マゼランが南米大陸南端の海峡を通過、 天候が良く平和な日が続いたためPacific Ocean(平和な大洋)と名付けられた。 海峡は後に「マゼラン海峡」と命名される。 マゼランはフィリピンで原住民に殺害されたが、 生き残った船員が2年後に帰還、初めての世界一周が達成され、 地球が丸いことが証明された。 また、日付に一日のずれがある事が航海日誌により発覚、 乗組員たちは、自分たちの日付が正しいと主張し大騒ぎになり、 ローマ教皇のところに使者が出される事態にまで発展した。 マゼラン一行は地球の自転とは逆向きに世界を1周したので、 日の出を見た回数がその場に留まっている人より一回少なかったわけだが、 この問題は日付変更線設定により解決した。
マゼランはポルトガル人で、数々の航海をこなした後、 ポルトガル国王に、西回りの航海を申し出たものの聞きいれてもらえず、 報償ももらえないどころか、利権の独占を疑われて嫌気がさし、 スペインに行って、スペインの船団としてこの航海に臨みました。 そのおかげで、フィリピンなど太平洋の島々はスペインの領土となり、 その後、黄金時代を築くことになりました。 まさしく、トップの判断で国の趨勢が決まるということですね。 マゼランが発見した群島は、当時のスペイン皇太子フェリペ2世にちなんで 「フィリピン」と名付けられました。 フィリピンは今は独立した一国ですが、 国名がいまだに侵略した国の王の名前というのも気の毒な話ですね。 また、マゼランを殺したフィリピン原住民はヒドイと思われるでしょうが、 マゼランはグアムでは原住民を殺害して食糧や物資を奪っていたので、 侵略者と戦ったマクタン島の首長ラプラプは、 英雄として今もフィリピン人に崇拝されているそうです。

11月29日 いい肉の日
宮崎県の「より良き宮崎牛対策協議会」が制定。 「いい(11)にく(29)」の語呂合せ。 これは何年の制定なのでしょうか、調べても不明でしたが、 今年は宮崎の畜産業界は口蹄疫で大被害を被りました。 8月末にやっと終息宣言が出されましたが、 事業の再開はまだまだ大変なようです。 宮崎は全国の和牛の繁殖の大部分を請け負っているので、 松坂など他の産地も大打撃だそうです。 東国原知事、来期も宮崎をどげんかしてくださいよ。 ともあれ、今日の晩御飯は宮崎産の肉で焼き肉でもいかがでしょうか。 しかし先週がいい夫婦、今週がいい肉、11月は「いい」月間ですね。 毎日「いい何々の日」ができそうです。 実際、5日「いいりんごの日」、12日「いい皮膚の日」、13日「いい膝の日」 14日「いい石の日」、23日「いい兄さんの日」などがあります。

11月30日 カメラの日
1977(昭和52)年、小西六写真工業(現在のコニカ)が 世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF」を発売した。 「ジャスピンコニカ」という愛称で呼ばれ、 誰でもピンぼけせずに撮れるということで、 それまでカメラに縁のなかった女性や中高年層の市場を開拓した。
最近カメラにハマっている私にぴったりの記念日です。 かつて「誰でもピンぼけせず」というコンパクトカメラを使っていたが、 ブレたり顔が半分だったり何を撮っているのかわからないようなものだったり。 一眼を持って初めて「何をどう撮るか」というところに意識が向いて、 少しはマトモな写真が撮れるようになりました。 ガイド付きのキーボードなどもそうですが 「誰でもできる」というキャッチフレーズって、 案外落とし穴だったりと思いませんか? 扱いが難しい一眼の方がよく撮れるというのもフシギな話ですが、 せっかくの記念日なのでカメラ持って出かけてみようかと思います。


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